2017年5月21日日曜日

 昨日の差別が感染症への恐怖から来るという話、ちょっと補足しておこう。
 同和差別の根底にも、死体や動物を扱う職業の人がそこからの感染を通じで疫病の蔓延の原因になったという疑いが根底にあったと思われる。隔離された理由はそこから説明するのが一番合理的だからで、「汚いから近づくんじゃありません」なんて言葉が繰り返されてきたのも病人扱いだからだ。
 「穢れ」という言葉は、病原体についての知識のなかった時代の人が考えた架空の病原体ではなかったかと思う。死穢、産穢、動物などの穢れは感染症を防ぐための経験的な理由があったのだと思われる。
 だからこそ、今日原発避難者が受けている差別も、しばしば「菌」という言葉が用いられているし、「放射能がうつる」なんて言い方も放射能を病原菌扱いしているとしか思えない。
 病原体に関しては一部の専門家以外は基本的に無知といっていい。無知なるがゆえにどこまで安全でどこまで危険かの線引きができないため、ほとんどの場合過剰反応を生む。「自分はいいが子供たちは守らなくてはならない」と言われると、反論も困難になる。こうして、右翼だろうが左翼だろうが関係なく、子供の健康を人質にとられると容易に人は差別主義者になる。
 口唇口蓋裂についても、他の遺伝性が疑われる疾患に対しても、「自分はいいが生まれてくる子供が」と言われると弱い所がある。それが結婚の際に露骨な差別を生むことになる。
 科学は万能ではないし、いくら安全だと言われても疑念は残る。「絶対にないとは言い切れない」と言われれば、この世の全てに関して絶対はない。
 民族対立や宗教対立による差別も、基本的には彼らがいつ反乱を起こしたり侵略してきたりするかわからないという不安によるものだ。それこそ「絶対にないとは言い切れない」という心理が過剰な防衛反応を生む。
 明治以降の日本の侵略戦争も、西洋列強がやがて日本を飲み込み、白人優越主義の彼らは容赦なく日本人を根絶やしにするかもしれないという恐怖から生じた過剰反応だった。今でも例えばゴジラ映画などでも、アメリカ人は日本に核を落とすことなどなんとも思ってないなんて言葉がつい出てしまうものだ。広島と長崎の原爆だって、ドイツに落とさずに日本に落としたのは黄色人種だったからだ、なんて言う人はたくさんいた。
 差別をなくすには、基本的には恐怖を煽るような言動には注意し、抑制しなくてはならない。原発に関しても例外にしてはいけない。全ての差別は結局その時代その時代の危険厨が引き起こしているようなものだったんだと思う。
 また、レイシズムの危険なんかでも過剰の煽るようなことをやってはいけない。なぜなら人種差別は相互に起こるものだからだ。一方のレイシズムの危険を煽ると、被害者側の人間が過剰反応を引き起こす危険が大きい。それが相互に行われると危険は現実になる。
 恐怖に負けるな、笑い飛ばせ。それが俳諧だと思う。

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