今日も暑かった。昼間は頭がぼおっとなってくる。
夜になって、さあ「牡丹散り」の巻の続きだが、句の展開も何だか眠くなってきそうな‥‥。とにかく初裏に入る。
七句目
百里の陸地とまりさだめず
哥枕瘧(おこり)落たるきのふけふ 几董
(哥枕瘧落たるきのふけふ百里の陸地とまりさだめず)
「瘧」はマラリアのことで、昔は珍しくなく、『源氏物語』では源氏の君もこの病気になり、療養中に若紫と出会った。「落(おち)たる」は病気の良くなることで源氏の時代には「おこたる」と言った。
芭蕉以来、歌枕を尋ね歩く旅は江戸時代には盛んに行われていたのだろう。歌枕を尋ねての百里の旅は途中でマラリアになることもあったが、それでも終わることなく続く。
無季。「瘧」は今では夏の季語になっているが、当時は不明。源氏の君は春三月桜の季節にマラリアにかかっている。
八句目
哥枕瘧落たるきのふけふ
山田の小田の早稲を刈頃 蕪村
(哥枕瘧落たるきのふけふ山田の小田の早稲を刈頃)
早稲は旧暦七月から八月に収穫する。
「山田」は伊勢山田か。
聞かずともここをせにせむほととぎす
山田の原の杉のむら立ち
西行法師
の歌に詠まれているから歌枕といえる。もちろん次の句では単なる山の間の田んぼに取り成すことができる。
「哥枕」に「山田」を付け、マラリアの治る季節ということで「早稲の刈頃」を付けている。四手付けというべきか。
季題は「早稲を刈る」で秋。「山田」は名所。
九句目
山田の小田の早稲を刈頃
夕月に後れて渡る四十雀 几董
(夕月に後れて渡る四十雀山田の小田の早稲を刈頃)
四十雀は留鳥で渡り鳥ではない。この場合の渡るは寝ぐらに帰る程度の意味か。
夕月はまだ日にちの浅く夕方に現れては暗くなると沈んでゆく月を言う。夕月が見えて来る頃、それにやや遅れて暗くなった空に四十雀が群を成して飛んでゆく。
初表は蕪村二句几董二句の進行だったが、ここからは一句づつになる。
季題は「夕月」で秋。夜分、天象。「四十雀」は鳥類。
十句目
夕月に後れて渡る四十雀
秋をうれひてひとり戸に倚(よる) 蕪村
(夕月に後れて渡る四十雀秋をうれひてひとり戸に倚)
夕月に秋を憂うと付く。わりかし紋切り型の展開だ。「ひとり戸に倚」もどういうシチュエーションなのかがはっきりしない。
それ初裏も四句目なのに句が大きく展開せず、遣り句めいた平板な句の連続で、このあたりも芭蕉の時代の俳諧とだいぶ意識が違うように思われる。
基本的にいえるのは生活感がないということで、それが蕪村の離俗と言ってもいいのかもしれない。現実の世界をしばし忘れ、遠い空想のノスタルジーの世界に読者を誘い込むというのが狙いなのだろう。手紙のやり取りで興行のような談笑の世界ではないから、笑いを取ろうと狙う必要もない。
季題は「秋」で秋。「ひとり」は人倫。
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