初夏の花というとケシの花の句も多い。ケシは桃山時代から江戸時代に渡来し、園芸植物として発達した。狩野重信「麦芥子図屏風 」をはじめ、ケシの花は画題としても定番だった。
幸い日本にはアヘンを吸う文化は育たなかった。そのためアヘンを取るためのケシと阿片の取れないケシ(ポピー)との区別もなかった。江戸時代の園芸品種の多くはアヘンの取れるケシだったため、昭和二十九年のあへん法施行以降、それまで栽培されていた多くのケシが焼却処分され、いくつかあったケシ園も閉鎖されていった。
今はケシというと帰化植物の雑草、ナガミヒナゲシがいたるところで小さなオレンジ色の花を咲かせている。
芭蕉七部集の一つで荷兮編の『阿羅野』にも、ケシの句が五句ある。
しら芥子にはかなや蝶の鼠色 嵐蘭
「蝶の鼠色」はシジミチョウのことか。胡蝶という場合は、たいていは紋黄蝶のことをさす。
ケシの花も一日花で儚いが、ケシの大きな花びらに比べるとシジミチョウの羽は小さくて地味で、すぐに飛び去ってしまうあたりから余計に儚げに見える。
鳥飛であぶなきけしの一重哉 落梧
これもケシの花が蝶々のように見えるからか。
けし散て直に実を見る夕哉 李桃
一日花のケシも散るとすぐに芥子坊主になる。花は儚くても実りは多い。
大粒な雨にこたえし芥子の花 東巡
ケシの花は一見弱々しく見えるから、大粒な雨で散ってしまうのではないかと心配してしまう。
散たびに兒(ちご)ぞ拾いぬ芥子の花 吉次
そのままの意味だと散った芥子の花を稚児が拾うということだが、子供の髪型の「芥子坊主」に掛けたものか。
ケシの句というと、『猿蓑』の、
別僧
ちるときの心やすさよ米嚢花(けしのはな) 越人
の句もよく知られている。
一日花の儚さを送別の際の潔さに転じている。芭蕉に破門された路通との別れの句。同じ『猿蓑』に芭蕉の路通との別れの句、
望湖水惜春
行春を近江の人とおしみけり 芭蕉
がある。
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