夕方の空に三日月と半月の中間のような月が出ていた。ということは旧暦だともう皐月、道理で皐月の花が咲いているわけだ。福島の復興桜を見に行ってからもう一ヶ月たつんだな。
芭蕉の『嵯峨日記』にも挑戦しようかなと思ったが、これは卯月十八日から皐月四日までの日記だから、昨日で終わっている。最後の日の日記に「明日は落柿舎を出んと」とあるから、今日が落柿舎を出た日だ。
昨日はネットで臨川寺、虚空蔵あたりを調べてみた。「松尾の竹の中に小督(こがう)屋敷と云有」のところで、何で松尾なのかというところに引っかかってしまった。
今の小督塚は渡月橋の北岸を西に行ったところにある。渡月橋のすぐそばの車折神社嵐山頓宮の前には駒留の橋もある。小督塚はこのすぐ西にあり、さらに西へ行くとかつて三軒茶屋があって、それが「墓ハ三間屋の隣、藪の内にあり」の「三間屋」だとされている。ただ、ここは松尾ではない。
ルートとしても、臨川寺を見て大井川(今の桂川)から嵐山や松尾の里をながめ、虚空蔵菩薩を安置する法輪寺に行ったなら、川を渡って南岸へ行っている。ここから南へ行って松尾に行ったとする方が自然なように思える。
「都(すべ)て上下の嵯峨ニ三所有、いづれか慥(たしか)ならむ。」と芭蕉の時代には小督屋敷と呼ばれている場所が三つあったようだ。だから、松尾にも同じように駒留の橋や三間屋があったのかもしれない。
これだとそこそこ距離もあるから、「斜日に及て落舎ニ帰ル」とあるのも納得できる。
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