「木のもとに」の巻3もいよいよあと二句で終わり。
三十五句目
医者のくすりは飲ぬ分別
花咲けば芳野あたりを欠廻(かけまはり) 曲水
(花咲けば芳野あたりを欠廻医者のくすりは飲ぬ分別)
さて、花の定座で順番がかわり珍碩ではなく曲水になる。一の懐紙の花を珍碩が詠んだから、二の懐紙は曲水に一句づつという配慮だろう。
芭蕉も持病を抱えながら『笈の小文』の旅では芳野あたりを駆け回ったし、みちのくも旅してきた。
薬といっても当時の薬は科学的な根拠にも乏しく、ほとんど気休めのようなもので、だったらやりたいことをやって人生を楽しむ方がよっぽど薬になるというもの。
最近でも薬漬けの末期医療は間違いというところから緩和治療が重視されるようになってきている。まだ元気があるなら登山をしたりして、人生の最後を楽しく締めくくるという考え方が見直されている。
芭蕉はこの四年後におそらく末期癌(大腸癌説に従うなら)と思われる状態で江戸を出て伊賀、近江、京都などの門人たちの所を尋ねて廻り、最後は大阪で息を引き取った。この最後の大阪の旅が珍碩改め酒堂と大阪の之道との喧嘩の仲裁のためだったのも何かの縁か。このときに曲水(曲翠)に宛てた手紙が残っている。その中に、
「さて洒堂一家衆、其元御衆、達而御すすめ候に付き、わりなく杖を曳き候。おもしろからぬ旅寝の躰、無益の歩行、悔み申すばかりに御座候。先伊州にて山気にあたり、到着の明る日よりさむき熱晩々におそひ、漸頃日、常の持病ばかりに罷り成り候。」
とある。芭蕉は曲水と大和路を旅する約束をしていたが、それも果たせなかった。その悔しさをこう綴っている。
「伊賀より大坂まで十七八里、所々あゆみ候ひて、貴様行脚の心だめしにと奉り候へ共、中々二里とはつづきかね、あはれなる物にくづほれ候間、御同心必ず御無用に思召すべく候。」
曲水も珍碩も、こうなるなんてこの時は夢にも思ってなかっただろう。
季題は「花」で春。植物、木類。「芳野」は名所。「欠廻」は旅体。
挙句
花咲けば芳野あたりを欠廻
虻にささるる春の山中
(花咲けば芳野あたりを欠廻虻にささるる春の山中)
病気をおしての旅の句でちょっとしんみりした所で、最後は笑いに持っていって落ちをつける。この句は解説する必要はないだろう。
季題は「春」で春。「虻」も春。は虫類。「山中」は山類。
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