2017年5月14日日曜日

 今日は生田緑地ばら苑へ行った。バラはほぼ咲きそろっていた。人が多く駐車場も列ができていた。バスで行ってよかった。
 どこかの国がミサイルを発射したけど、今日も平和な一日だった。まあ、いつ何が起こるかわからない世の中だから、楽しいことは今のうちにやっておいた方がいい。
 さて、「木のもとに」の巻3の続き。

二十三句目

   熊野みたきと泣給ひけり
 手束弓紀の関守が頑(かたくな)に  珍碩
 (手束弓紀の関守が頑に熊野みたきと泣給ひけり)

 「紀の関」は万葉集に登場するが、どこにあったのかははっきりしない。後の時代でも、所在がはっきりしないまま手束弓(小型の弓)を持った紀の関守は一人歩きして、一種の架空の関として多くの古歌に詠まれている。
 弓を持った関守が頑なに通行を拒んで熊野詣の人を困らせているとはいえ、当時としてもそんなリアリティーがあったとは思えないし、これは遣り句と考えていいと思う。

無季。

二十四句目

   手束弓紀の関守が頑に
 酒ではげたるあたま成覧    曲水
 (手束弓紀の関守が頑に酒ではげたるあたま成覧)

 禿げネタというのはいつの時代にもあるもので、今は「斉藤さんだぞ」だが、この手のギャグは昔からあった。
 いかにも居丈高に威張り散らしている関守を見て、それよりそのハゲ頭何とかしろと言いたくなる気持ちはわかるが、あまりレベルの高い笑いではない。ちょっと息切れしてきたか。

無季。

二十五句目

   酒ではげたるあたま成覧
 双六の目をのぞくまで暮かかり  芭蕉
 (双六の目をのぞくまで暮かかり酒ではげたるあたま成覧)

 まあ、禿げネタに芭蕉さんもどう展開していいか悩んだのではなかったか。
 「双六」は今で言うバックギャモンの遠い親戚のようなもので、昔は主に賭け事に用いられた。鳥獣人物戯画でも双六盤を担ぐ猿の姿が描かれている。
 前句の酒ばかり飲んでる禿げ爺さんを博徒と見ての付け。
 『三冊子』「あかさうし」には、「気味の句也。終日双六に長ずる情以て、酒にはげぬべき人の気味を付たる也。」とある。「気味」は「匂い」とほぼ同じ。頭がはげるまで飲み続けるような人は、日が暮れるまで双六を続けるような人でもある。響き付けといっていいだろう。

無季。

二十六句目

   双六の目をのぞくまで暮かかり
 假の持仏にむかふ念仏     珍碩
 (双六の目をのぞくまで暮かかり假の持仏にむかふ念仏)

 持仏というのはいわばマイ仏陀で、お寺の仏や道端の石仏のような公共のものではなく、自分専用の仏を言う。手のひらサイズの小型の仏像は旅の際に持ち歩いた。
 博徒というのはサイコロの目が思い通りにならないように、何か超自然的な力を信じてたりするものだ。人知の限界を知る、己の無知を知るというのは全ての信仰の根底にあるのではないかと思う。そういう意味では博徒はそれを知っている。

無季。「持仏」「念仏」は釈教。

二十七句目

   假の持仏にむかふ念仏
 中々に土間に居(すわ)れば蚤もなし 曲水
 (中々に土間に居れば蚤もなし假の持仏にむかふ念仏)

 蚤は茣蓙や蒲団を介してうつることが多いので、土間にじかに座るとかえって蚤の心配がなかったのだろう。
 みすぼらしい乞食僧となれば、家に上げてもらえずに土間で過ごすことも多くて、それを「蚤もなし」と割り切るのも一つの知恵か。

季題は「蚤」で夏。虫類。「土間」は居所。

二十八句目

   中々に土間に居れば蚤もなし
 我名は里のなぶりもの也    芭蕉
 (中々に土間に居れば蚤もなし我名は里のなぶりもの也)

 まあ要するにハブられている(村八分にされている)わけだが、それで平然と開き直れるのは、やはり一本筋の通った人物だろう。なかなか力強い一句だ。
 『三冊子』「あかさうし」にはこうある。

  「能登の七尾の冬は住うき
 魚の骨しはぶる迄の老を見て
 前句の所に位を見込、さもあるべきと思ひなして人の体を付たる也。
   中々に土間にすはれバ蚤もなし
 わが名は里のなぶり物也
 同じ付様也。
   抱込て松山広き有明に
 あふ人毎に魚くさきなり
 同じ付也。漁村あるべき地と見込、その所をいはず、人の体に思ひなして付顕す也。」

   能登の七尾の冬は住うき
 魚の骨しはぶる迄の老を見て  芭蕉

の句は元禄三年六月、つまり「木のもとに」の巻の二ヵ月後、京都の凡兆宅で巻いた「市中は」の巻の十一句目で、『猿蓑』に収録されている。前句の能登の七尾からいかにもそこにいそうな老人を付けている。

   抱込て松山広き有明に
 あふ人毎に魚くさきなり

の句は元禄七年閏五月、京で巻いた「牛流す」の巻の十二句目。同じく漁村の風景にその場にいそうな魚臭い人を登場させる。漁師と言わずに「魚くさき」というだけで漁師を文字通り匂わせている。
 「我名は里の」の句はいつも土間にいる人からハブられている匂いを嗅ぎ取り、そういう人の言いそうな言葉を付けている。
 この巻の十句目の

   入込に諏訪の涌湯の夕ま暮
 中にもせいの高き山伏     芭蕉

も、いかにもその場にいそうな人の付けだが、これを山伏と言わずして山伏を匂わせる表現ができたなら匂い付けということになるのだろう。

無季。「我」は人倫。「里」は居所。

二十九句目

   我名は里のなぶりもの也
 憎まれていらぬ躍(をどり)の肝を煎(いり) 珍碩
 (憎まれていらぬ躍の肝を煎我名は里のなぶりもの也)

 月の定座だが。この前句ではちょっと難しかったか。
 「肝を煎る」というと「いらつく、やきもきする」という意味だが、「肝煎り」だと「世話を焼く」という意味になる。江戸時代では「肝煎」は役職名にもなっている。
 句の意味は、日ごろから憎まれているため、やらなくてもいいような踊りに腐心しなくてはならない、といったところだろう。普段の仕事ではどんくさくて人の足を引っ張ってばかりだから、せめて宴会では主役になり存在感をアピールするというわけか。

無季。

三十句目

   憎まれていらぬ躍の肝を煎
 月夜月夜に明渡る月   曲水
 (憎まれていらぬ躍の肝を煎月夜月夜に明渡る月)

 何だかこれでもかというくらい月を出してきた感じだ。何日にも渡って夜明けまで月、月、月。月もいいけど芸人は楽ではない。
 前句の村の憎まれっ子からプロ芸人、いわゆる「芸能」の人に取り成したのだろう。「芸能」は士農工商外の非人の身分だった。月の季節は連日の興行で大忙しだ。

季題は「月」で秋。夜分、天象。

0 件のコメント:

コメントを投稿