「木のもとに」の巻3の続き。
四句目
旅人の虱かき行春暮て
はきも習はぬ太刀のひきはだ 芭蕉
(旅人の虱かき行春暮てはきも習はぬ太刀のひきはだ)
「ひきはだ」は革偏に背と書くが、フォントが見つからなかった。「蟇肌」とも書く。
「ひきはだ」は山刀などを収める皮の鞘のこと。旅人が護身用に持ち歩く。「はきも習はぬ」は身に着けるのに慣れていないという意味。護身用とはいえ刀の類は物騒なので、使い慣れているよりは慣れてないほうが風流といえよう。
芭蕉は『野ざらし紀行』の伊勢の所で「腰間(ようかん)に寸鐵(すんてつ)をおびず。」と言っているから、山刀は携帯してなかった。
『奥の細道』で山刀伐(なたぎり)峠を越える時には、「さらばと云(いふ)て人を頼待(たのみはべ)れば、究竟(くっきゃう)の若者反脇指(そりわきざし)をよこたえ、樫(かし)の杖を携たづさへて、我々が先に立(たち)て行(ゆく)。」と護衛をつけている。
無季。
五句目
はきも習はぬ太刀のひきはだ
月待て假の内裏の司召(つかさめし) 珍碩
(月待て假の内裏の司召はきも習はぬ太刀のひきはだ)
太刀を身につけるのに慣れてない人を平安貴族とした。
司召除目は秋除目とも呼ばれ、ネットで検索するとブリタニカ国際大百科事典小項目事典の解説として、
「京官除目,秋除目ともいう。在京の官司すなわち京官 (けいかん) を任じる朝廷の儀式。 11月または 12月に行われる。地方官を任命する春の県召除目 (あがためしのじもく) に対し司召除目を秋除目といった。古代以来行われてきたが,室町時代には廃絶した。」
と出てくる。
季題は「月待ち」で秋。夜分、天象。脇の「西日」から二句隔てている。
六句目
月待て假の内裏の司召
籾臼つくる杣がはやわざ 曲水
(月待て假の内裏の司召籾臼つくる杣がはやわざ)
仮の内裏というところから田舎の舞台設定として、林業に従事する杣人がいて、籾摺る臼を簡単にさくっと作ってくれる。
前句と言いこの句と言い、過去の王朝時代を想像して作った句でリアリティーには欠ける。まだ「軽み」の風には遠い。
季題は「籾臼」で秋。「杣」は人倫。
初裏
七句目
籾臼つくる杣がはやわざ
鞍置る三歳駒に秋の来て 芭蕉
(鞍置る三歳駒に秋の来て籾臼つくる杣がはやわざ)
馬は二歳で大人になり、三歳馬は若い盛り。日本ダービー(東京優駿)も三歳馬によって争われる。
前句の「はやわざ」を臼を作る早業ではなく、籾臼で精米する早業と取り成し、精米した米を運び出す三歳駒を付けたのだろう。
小学館『日本古典文学全集32 連歌俳諧集』の解説に「『秘註』に三歳駒の勢いと前句の早業とは響きであるという」とある。『秘註』は『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)。
絵空事に流れがちな俳諧を現実に引き戻すのは、蕉門確立期の芭蕉の仕事でもある。
「木のもとに」の巻2の三十三句目に、
能見にゆかん日よりよければ
乗いるる二歳の駒をなでさすり 三園
の句があるが、どちらが先かは不明。あるいはこの句の影響があったか。
季題は「秋の来て」で秋。「三歳駒」は獣類。
八句目
鞍置る三歳駒に秋の来て
名はさまざまに降替る雨 珍碩
(鞍置る三歳駒に秋の来て名はさまざまに降替る雨)
雨にはいろいろな呼び方があるか、そこは工夫したのだろうけど、ただ秋が来て雨が降るという内容しかない。遣り句と見ていいだろう。
小学館『日本古典文学全集32 連歌俳諧集』の註にも、「『通旨』は、この付句を「天相」(天候)で付けた逃句だとしている。」とある。『通旨』は『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)。
無季。「雨」は降物。
九句目
名はさまざまに降替る雨
入込(いりごみ)に諏訪の涌湯(いでゆ)の夕ま暮 曲水
(入込に諏訪の涌湯の夕ま暮名はさまざまに降替る雨)
「入込」は雑多なものが入り混じることを言う。「混浴」という註もあるが、芭蕉の時代は混浴が普通だったから、ここでは身分や職種に関係なくいろいろな人が利用する山の中の温泉というような意味だろう。
いろいろな地方から人が集まれば、雨の呼び方も様々だ。
無季。「諏訪」は名所。
十句目
入込に諏訪の涌湯の夕ま暮
中にもせいの高き山伏 芭蕉
(入込に諏訪の涌湯の夕ま暮中にもせいの高き山伏)
これは芭蕉の得意とするあるあるネタ。こういう山の中の温泉にいくといかにもいそうな人をすかさず出してくるあたりは流石だ。
土芳の『三冊子』「あかさうし」には、「前句にはまりて付たる句也。其中の事を目に立ていひたる句なり。」とある。
無季。「山伏」は人倫。
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