十一月も今日で終わり明日からは新暦の師走。今年一年も短かった。たいしたこともしない間にもう終わりか。こんなふうに一生って終わっちゃうんだろうな。
と、気を取り直して、せめて「ゑびす講」の巻くらいは今年中に終わらせよう。
二十七句目。
又沙汰なしにむすめ産
どたくたと大晦日も四つのかね 孤屋
「どたくた」は「どさくさ」に同じ。「さ」と「た」の交替は、サ行をしばしばthに近い音で発音することから起こるものであろう。「真っ青」が「まっつぁお」なったりするのもその一例。相撲でよく使われる「どすこい」も「どつこい」との交替が成り立つ。「どつこい」は一方で促音化して「どっこい」になる。
大晦日(おおつごもり)はかつては決算日で、借金取りもこの日に回収しなきゃと走り回っていた。今で言えば年度末の3月31日と大晦日がいっぺんに来たような忙しさだったのだろう。
大晦日定めなき世の定めかな 西鶴
は談林の俳諧師でもあった井原西鶴の発句。
大晦日の四つというのはこの場合夜四つ(午後11時ちょい前)か。『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)には「夜いそがしき折ふしに」とあり、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)も「四ツは亥の刻なり。」としている。これに対し『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には「昼からの騒ぎに」と朝四つ(午前10時過ぎ)としている。
どっちにしても大晦日は忙しいことに変わりない。その忙しいさなかに出産となれば、それこそ「どたくた」している。
わかりやすい句で、『俳諧古集之弁』系では「句作おかし」とだけある。
季題は「大晦日」で冬。
二十八句目。
どたくたと大晦日も四つのかね
無筆のこのむ状の跡さき 利牛
「無筆」は読み書きのできない人、「このむ」は注文をつけることをいう。日本は中世から識字率が高く、読み書きできない人は庶民といえどもそう多くはなかったし、連歌や俳諧が日本の識字率の向上につながった面もある。
当時は年賀状はあるにはあったが、年明けていばらくしてから書くことが多く、年内に出さなくてはいけないわけではなかった。大晦日のどたばたしている時にわざわざ書かせる書状というと、借金の催促とか延期願いだとかだろうか。それにしては遅すぎる。
『俳諧古集之弁』系では「前へ無用なる晦日へ附たり。」とある。前句の大晦日の体に打越の「むすめ産」の用が付いているから、ここで大晦日の用を付けると「用付け」になって、展開に乏しく輪廻気味になる。そのため「無用」、つまり大晦日の出来事としてそれほど必然性のないことを附ける必要があった。
字の書けない人が手紙の代筆を頼むのは、別に大晦日でなくても良いことで、「むすめ産」のように「こんな時に」というネタにもなっていない。
代筆を頼む人はお年寄りであったりしたのだろう。繰言が多くてどうにも要領を得ないのは、遺言を代筆する公証人の心境のようなものだろう。その呑気さと世間の大晦日の忙しさを対比したと見た方がいいのかもしれない。
無季。
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