ネットを探してたら、其角自撰句集『五元集』に、
旅思 二句
みゝつくの独笑ひや秋の昏 其角
みゝつくの頭巾は人にぬはせけり 同
とあった。一つは前回紹介したが、もう一句も同じように自分の旅姿を詠んだものと思われる。
もう一つ、『五元集』の春の所に、
梟にあはぬ目鏡や朧月 其角
の句があった。例によって企画の句はわかりにくい。ここでも自分を梟に例えているのだろうか、あるいは梟と同化しているのか。夜目の利く梟でも眼鏡が合わなければ月も朧に見える。つまり、「眼鏡をかけているように見える梟もその眼鏡が合ってないのか、月が朧に見える」と言うような意味なのだろう。
近代俳句だが、
ふくろうの声ふところの孤独かな 窓秋
の句は何か惹かれるものがある。窓秋の句は近代俳句の中では前衛として扱われているが、案外ポップでわかりやすい句が多い。写生句か象徴詩かという近代俳句の枠組みに収まらないため、前衛として扱われているのだろう。
「ふくろう」と「ふところ」が何となく韻を踏んでいるのか踏んでないのかの微妙なつながりで、それに「こどく」と畳み掛ける言葉遊びが面白いし、情景としても梟の声を聞くようなところではきっと山奥で一人っきりなのだろう。梟の声にはっと我に帰り、孤独はいつでも自分の懐にあることを自覚する、という意味か。
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