今日は午前中雨が振り午後からは晴れた。
夕暮れの空は大気が安定しているのか、地平線付近は赤みは少なくやや緑がかかり、その上の色をなくした空に爪で引っ掻いたような細い三日月が見えていた。今日は旧暦だと神無月の三日。もう冬だ。
さて、それでは湯山三吟の続きで、今日は九十五句目から。
誰よぶこどり鳴きて過ぐらん
おもひ立つ雲路ぞかすむ天津雁 宗長
「らん」は前句では疑問の意味だったが、お約束通りここでは反語となる。呼子鳥が鳴いて通り過ぎたかと思ったがそうではない、帰ろうと飛び去った天津雁の飛行ルートが霞んでいたためにその姿が見えなかったからそう思っただけだった、という意味になる。
九十六句目。
おもひ立つ雲路ぞかすむ天津雁
さこそは花を跡の山ごえ 宗祇
「思い立つ」を「思い断つ」に取り成し、花の咲く山を跡にして越え去ってゆく旅人の心情の句とする。「思い断つ雲路も霞むぞ、天津雁、さこそは花を跡の山ごえ」の倒置となる。相変わらず高度な「てには」の使い方で付けてくれる。
惜しむ気持ちを振り切ろうとすると雲路も霞む、天津雁よ、お前こそは花を跡にして山を越えて行く、という意味になる。
九十七句目。
さこそは花を跡の山ごえ
心をもそめにし物を桑門 肖柏
この付け句はわかりやすい。
前句の「花を跡の山ごえ」をいろいろな世俗への執着を断ち切って世捨て人になることの例えと取り成す。
心にいろいろ執着するものがあっただろうに世捨て人、それこそは花を跡にしての山越えだ、という意味になる。
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