さて、初の懐紙も裏に入り、次が七句目。
割木の安き国の露霜
網の者近づき舟に声かけて 利牛
これはわかりにくい。古註にヒントを得ながら読み解くとしよう。
まず、露霜を捨てて「割木の安き」を割木舟(薪舟)のこととみなして「近づき舟」とし、海に網を張っている漁師がそれに声をかける。
露霜を捨てているのは、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)が「此句露霜ト云ヲ付もらしけり。」と指摘している通りで、上句下句合せて読んだとき露霜は特に意味を持っていない。
「割木の安き」から割木舟を導き出していることは、『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に「即割木ぶねなり。」とし、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)も同じ、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)、『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)、『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)なども同様の指摘をしている。割木舟は瀬戸内海など松の多い地方で薪を積んで売り歩く船のこと。
「近づき舟」が近づいてくる舟のことで、網の物の方から舟に近づくのではないことは、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)の「近づき舟とつづけて読むべし。」とあり、『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)にも「沖の通船の近づき船」とあり、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)にも「向より走来る舟」とある。
ただ、何のために漁師が声をかけたかとなると、是もほぼ皆共通して網があるから入らぬように声をかけているという点で一致している。
ただ、『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)のみ、「割木を積し舟人と漁師は、平生心易き近付にと、海原迄と声をかけ船よばひして、語り合うさま也。」としている。
この句は概ねの解釈に従い、割木の安い国から来た割木舟が近づいてきたので、地元の漁師が網に触らぬように声をかける、としておこう。「露霜」というのは「ちょっとした事件」くらいの意味にとっておくのが良いのかもしれない。
なお、『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「天地を一壺にちぢむるの術ありといハん。」とあり、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「大山を罌粟(けし)の一粒にちぢむる術ありといはん」とあり、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「大ナル者ヲ小サナル物ヲチヂムル変化也。」とある。同じことを言っていると思われる。スケールの大きな句という意味か。
無季。秋が三句続いた後無季に転ずる。「網の者」は人倫、水辺。「舟」も水辺。
八句目。
網の者近づき舟に声かけて
星さへ見えず二十八日 孤屋
これはわかりやすい。近づき舟が何であれ、星も見えない二十八日の夜だから網の者がこっちに網があるよ、と声をかけている。場面を夜に転じている。
『七部集大鏡』(月院社何丸著、文政六年刊)、『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)は『土佐日記』の正月二十八日の条を踏まえているのではないかと指摘している。本説というほどのものではなく「俤(おもかげ)」といったところか。
無季。「星」は天象(光物)。四句目の「月」から三句隔てている。
九句目。
星さへ見えず二十八日
ひだるきハ殊軍(ことにいくさ)の大事也 芭蕉
「ひだるき」は空腹のこと。腹が減っては戦はできぬというのは確かに大事なことだ。
「也」留めは和歌の体ということで、『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「二句一意」とある。
『俳諧古集之弁』、『俳諧七部集弁解』、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「曽我兄弟の御狩場へ出たつもよう」とある。また、本願寺合戦だという説もある。元ネタをちょっとだけ変えて用いる本説と違い、俤はあくまで何となくそんな雰囲気がする程度のもの。前句の船旅から夜討ちへの転換なので、読者がそれぞれいろいろな夜討ちの場面を思い浮かべるのは、計算済みであろう。
俳諧は平和主義を本意とするもので、基本的には武勇を賛美したりするものではない。この句も、みんな腹が減っているのに星さえも見えない夜に出陣とは、もののふとは気の毒なものだという情で読んだ方が良いだろう。『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)の「暗のまぎれニ、夜討の大将より軍令する腰兵糧の用意ならん。」はその辺がわかってない。明治の軍国主義の解釈か。
無季。
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