2016年11月27日日曜日

 今日も午後から雨。寒い一日だった。
 二十句目。

   新畠の糞もおちつく雪の上
 吹とられたう笠とりに行     利牛

 雪解けの頃に吹く強い春風を付ける。東風(こち)とも呼ばれている。ただ、「東風」という言葉を使わずに東風を表現するところが匂い付けになる。

   抱込で松山廣き有明に
 あふ人ひとごとの魚くさきなり   芭蕉

と同じで、「松山」に「漁師」を付ければ普通の言葉付けだが、漁師と言わずしてそれを匂わせることで、文字通り魚の匂いを付けている。
 「東風」を表に出さないことには、無季の句となり、次の句の展開がしやすくなるというメリットもある。
 句意は明瞭で、前句を背景として、風に吹き飛んだ傘を拾いに行く人を付けている。畑の真ん中で春風に笠を吹き飛ばすのは「あるある」ネタ。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)の系統は「東風の時候」とだけ記している。
 無季。「笠」は衣装。

 二十一句目。

   吹とられたう笠とりに行
 川越の帯しの水をあぶながり   野坡

 昔の街道は幕府が橋を作らせなかったため、川の水につかりながら徒歩で渡ったのは学校でも習ったことで今更だが、そうして渡る途中に風で笠が吹き飛んで腰まで水につかりながらおそるおそるそれを取りに行くというのは、当時の「あるある」だったのだろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)系は「二句一体にして与奪の意なり。」とある。『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)は「帯しハ腰のあたりといふ義也。」と付け加えている。
 『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)はこれを大井川の川越制度に結び付けているが、川越制度は元禄九年からなので、この俳諧が巻かれた時にはまだなかった。
 『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)には「驚き恐るべき程にもなき纔(わずか)腰切りの水を、かしましくいふ余情あり。」とあり、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)には「川越人足ともあるものの帯ほどの水を危がるべきや。」とあるが、この両者は明治三年に川越制度が廃止された後の世代なので、川越の実態を知らない。みんなが渡ってたり、普段渡り慣れている所ならともかく、川下に流されていった笠を拾うために道を外れるとなると、急に深みにはまることがあるので危ない。今でも川で遊ぶ人は注意しなくてはならない。
 無季。「川越」は水辺。旅体。「此島」から三句隔てている。

 二十二句目。

   川越の帯しの水をあぶながり
 平地の寺のうすき藪垣    芭蕉

 平地は今では平らな土地という意味だが、『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に「平地は水辺の体」とあるから、かつては川や干潟を干拓した土地を意味していたのであろう。そのあたりは腰ほどまでの水の流れる用水路が縦横無尽に走り、それを避けながら寺の藪垣を頼りに進むと良かったのだろう。お寺は大概盛り土をしたりしてやや高い所に建てる。「うすき」というところに心細さを感じる。
 これは旅体ではなく、平地に住む人の日常の風景に転じている。
 『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)や『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)はお寺が水に流されるのではないかと心配しているが、意外に他は沈んでも寺は残るものだ。お寺の開祖となるようなお坊さんは馬鹿ではない。
 無季。「寺」は釈教。「平地」が式目上の水辺になるのかどうかはよくわからない。

 二十三句目。

   平地の寺のうすき藪垣
 干物を日向の方へいざらせて  利牛

 干物といってもお寺だから魚やイカではなく、柿だとか大根だとかだろう。「いざる」というのは「どかす」「移動させる」という意味。元は膝で歩くことを言ったが、そこからゆっくり移動するという意味に拡大されたようだ。名詞形はやばいので割愛。
 平地の寺で干物を日向に干すのは日常の光景で冬が来たなと感じさせる。日が低くなると薮垣の影になるので、垣から遠ざけたのだろう。
 『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「弁を加ふるに及ず。」とあり、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)も「其場ニシテ明ナリ。」としている。
 『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)は「いざらせて」の「いざる」を接頭語「い」+「去る」で「ゐざる」とは別だとしている。「い」と「ゐ」は江戸時代には既に混同されていて、発音に違いは無かったと思われる。「ゐざる」も「居(ゐ)」+「去る」から来たと言われている。
 無季。「干し菜」は冬の季題だが、干し蕪や干し大根は春の季題で、「干し物」だけでは季題にならない。十三句目の「干葉」も「干し菜」にしなかったのは「淡気の雪」から二句しか離れてなかったからだろう。

 ニ十四句目。

    干物を日向の方へいざらせて
 塩出す鴨の苞(つと)ほどくなり  孤屋

 「塩出す」は保存のために塩漬けにした食品(塩蔵)を塩抜きして戻すことを言う。江戸時代には鴨肉も塩蔵にしていたのだろう。塩漬け肉はかつて世界中にあり、ヨーロッパにも鴨の塩漬けや生ハムがあり、中国にも咸鴨腿というのがある。
 せっかく手に入った鴨肉なので塩出しして食べようと思うと、狭い長屋では置き場所がない。干してある干物をちょっとどける。
 こうしたあるあるネタでさくさく進んでいくあたりが、「軽み」の風の真骨頂なのだろう。こういうネタだと古註の意見もほとんど分かれない。
 無季。「鴨」はここでは食品なので鳥類にはならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿