2016年11月24日木曜日

 今日は寒かった。54年ぶりの降雪とか言っていた。1歳の時にそんなことがあったのか、もちろん記憶はない。淡気(け)の雪というのはこういうのを言うのか、確かに雑談する気にもなれない。

 十五句目。

   馬に出ぬ日は内で恋する
 絈(かせ)買の七つさがりを音づれて 利牛

 絈(かせ)買についての解説は『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)にまかせよう。

 「絈は『かせ』と訓ます俗字にして、糸未だ染めざるものなれば、糸に従ひ白に従へるなるべし。かせは本は糸を絡ふの具にして、両端撞木をなし、恰も工字の縦長なるが如き形したるものなり。紡錘もて抽きたる糸のたまりて円錐形になりたるを玉といふ。玉を其緒より『かせぎ』即ち略して『かせ』といふものに絡ひ、二十線を一トひびろといひ、五十ひびろを一トかせといふ。一トかせづつにしたるを絈糸といふ。ここに絈といへるは即ち其『かせ糸』なり。絈或は纑のかた通用す。絈糸を家々に就きて買集めて織屋の手に渡すものを絈買とは云ふなり。」

 それが七つ下がりの刻、つまり夕暮れも近い頃になってやってくる。ネットで見ると「午後4時を過ぎたころ」とあったりするが、当時は不定時法なので春分秋分の頃なら四時過ぎだが、夏はもっと遅く冬は早い。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「二句がらみの附ならん。」とあり、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)にも「打向ハせて二句がらミに附なしけん。」、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)にも「打向ハセテ二句ガラミニハシタリ。」とある。この三つは大体一致することが多い。これまでからすると幕末のものよりは信頼度が高いが、「二句がらみ」はどうかと思う。
 熟女のうわの空から、馬士と宿屋の女の恋と二句続いたので、ここは恋離れと見て良いのではないかと思う。夫が馬に出ぬ日は一日ラブラブで過ごしていたが、夕暮れになってお邪魔虫でも良いのではないかと思う。
 無季。「絈買」はこの場合人物を指すので人倫。

 十六句目。

 さて、次の十七句目は花の上座で、初裏の月もまだ出ていない。ここで花を呼び出さなくてはいけない。ここはさらっと行きたい所だ。

   絈買の七つさがりを音づれて
 塀に門ある五十石取      孤屋

 ネットで「五十石取り」を検索すると「たそがれ清兵衛」が出てくる。「教えて!goo」の回答によると、武士でも下っ端の方で年収125万円なんていう算定もある。今で言えば相対的貧困家庭か。女房が内職して糸を紡いでいるのだろう。絈買が出来上がった絈を買いに来る。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)、には「用体の変なり。」とあり、『弁解』のみ「付意句意明也。」と付け加えている。「音づれて」に「恋する」と用で付いていたのを、訪れる場所である五十石取りの家という「体」を付ける。当時は句意明瞭すぎて解説の必要なしと判断されたか。
 『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には、「絈買といふより転じ来て、小身侍の家の老婦、又女兄弟などの手業に絈を製りて売なし、日用のたすけとするさまを余情に見せたり。」とある。異論はない。
 『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)は「塀に門あるは門に塀あるにあらず、簡略なり。」「塀は勿論板塀の古びたるにて、筋塀錬塀などの立派なるにはあらず」とある。「門に塀ある」は立派な門に塀がついているというニュアンスで、「塀に門ある」は粗末な塀に小さな門が付いているというイメージか。
 五十石取りの家があるというだけの単純な句なので、次の句ではどうにでも展開できる。花呼び出しの見本のような句だ。ここまでお膳立てされるとかえって次の芭蕉さんにはプレッシャーかもしれない。
 無季。「門」は居所。「五十石取」は人倫。次の句で人倫は出せない。

 十七句目。

   塀に門ある五十石取
 此島の餓鬼も手を摺月と花  芭蕉

 さあ、お約束で花ばかりか月も出してきました。
 五十石取りとはいえ小さな島ではいっぱしの島奉行で、最も偉くて最も金持ちということもあるが、月花の風流の心を知るということが何より慕われる理由だという、風流の道の宣伝とも取れる。
 隠岐に流罪となった後鳥羽院の、

 我こそは新島守(もり)よ隠岐の海の
    荒き波風心して吹け
              後鳥羽院

あたりの俤を意識したか。
 それにしても島人のことを「餓鬼」だなんて、いくら人倫を出せないからといって、「土人」同様今だったら先住民族差別だって騒ぎになりそうだ。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「前句の語勢に情を起し、文に武もある島奉行と見て、いと怪しげなる夷等も心腹したる以為をいへりかん。句作の按配感味すべし。」とある。『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)、『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)もほぼ同じだが、「文に武も」のところが「仁徳」になっている。「月と花」とあるのだから『笈の小文』の、

 「風雅におけるもの、造化(ぞうか)にしたがひて四時(しいじ)を友とす。見る処花にあらずといふ事なし、おもふ所月にあらずといふ事なし。像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。」

にひれ伏したと考えた方が良いと思う。
 なお、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)は、今だとやはり問題になりそうな文章だ。

 「此句は餓鬼といひ、島といへるに、宜しからぬ海中の荒れたる島の、痩せさらぼひて衣服だに能くも身を被はぬやうなる浅ましき土民をあらはし、しかも其の餓鬼のやうなる者も月花にあくがれ、それを見たしとは念ずるといふことを、餓鬼も手をする月と花とは作れるなり。‥‥略‥‥およそは伊豆の大島、薩摩の種子島あたりを想へるなれど、想像より成れる句にて、もとより確と定めてのことにはあらず。」

 まあ、こういう認識だった時代もあったってことか。
 季題は「月」と「花」だが、月は一年中あるのでこの場合は花を優先して春の句となる。「花」は植物。「月」は天象。「島」は水辺。「餓鬼」は人倫にならない。

 十八句目。

   此島の餓鬼も手を摺月と花
 砂に暖(ぬくみ)のうつる青草  野坡

 打越の島奉行のことを忘れて前句を見れば、単に花咲く月夜をに手を摺る島の先住民族ということになる。あるいは今日で言う「餓鬼」つまり子どものことか。
 季節は春で「砂に青草のぬくみのうつる」を倒置にしてこの句となる。砂浜にも春の草が生えてきて暖かそうに見える、ということか。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「踊躍したのしむ姿と見て、花下のけしきをいへるや。」とあり「餓鬼の語を転用して、かつぎの蜑の子どもらの花間に戯れ遊べると見ても変化おかしからん」とある。、『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)は「悦び楽む姿と見て」としていて、後は大体同じ。
 季題は「青草」で春。植物、草類。

0 件のコメント:

コメントを投稿