今日は足柄峠へ行った。富士山がよく見えた。道了尊へも行った。紅葉が綺麗だった。
それでは 「ゑびす講」の巻、四句目。
番匠が樫の小節を引かねて
片はげ山に月をみるかな 利牛
第三が原因の「て」で付けたため、四句目も軽く流すようにさくっとつけようとすれば、第三が原因で四句目が結果になるという句になり、そのため脇句の趣向から思いっきり離さなくてはならないという苦しさがある。
「片はげ山」はおそらく材木を取るために半分伐採した山のことなのだろう。番匠は本来建築だけでなく材木の伐採などに携わる者も含む建築一般に従事する人のことだった。ここでは大工の下働きという江戸時代的な番匠ではなく、律令時代の山から木を切り出していた番匠に取り成しているのであろう。樫の木を半分伐採した所で片禿になった山に月を見ている。
古代のことなので句もやや古めかしく「かな」で留めている。和歌や発句では珍しくないが、連歌俳諧のつけ句としては珍しい。
元禄三年の「灰汁桶の」の巻の、
堤より田の青やぎていさぎよき
加茂のやしろは能き社なり 芭蕉
の「なり」留めもそうだが、古い時代の素朴な感じを出そうという演出なのだろう。「かな」留め「なり」留めは和歌の体で、付け句の体ではない。
『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政4年刊)に「古今抄に、番匠といふ詞の古雅なる万葉体の歌と聞なして、見るかなとハいへりけるとぞ。しかれバ論なふ二句一体にして、親疎に与奪の意あり。」とある。
二句一体というのは付け筋によって付けるのではなく、最初から和歌を詠むかのようにストレートに言い下すことを言っていると思われる。「親疎に与奪」というのは、親句にすることで前句に生命を吹き込んでいる、といったような意味か。
『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)もほぼ同じ。ここでもコピペ。『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)も大体同じ。
『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年)にも、「片はげ山 前の番匠の句を上の句として、歌のやうに付なしたる也。」とある。
季題は「月」で秋。連歌では「光物」というが江戸時代の俳諧では「天象」と呼ばれていた。「片はげ山」は山類。
月の定座を一句引き上げているが、蕉門の俳諧ではよくあることで、七七の短句で月や花を詠むことも蕉門では嫌っていない。そもそも定座というのは連歌の式目には無く、あくまで慣習にすぎないのだから、厳密に守る必要はない。
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