海の向こうではトランプ大統領が爆誕したとのこと。それについては鈴呂屋書庫の日記の方に譲るとして、ここでは風流の話をメインに。
蓑笠が雨具ではなく晴れ着あることは、芭蕉の次の句からも読み取れる。
たふとさや雪降らぬ日も蓑と笠 芭蕉
降らずとも竹植ゑる日は蓑と笠 芭蕉
年暮れぬ笠着て草鞋はきながら 芭蕉
「たふとさや」の句は三井寺で卒塔婆小町の絵を見たときの句で、真蹟懐紙が残され、そこには少々長い前書きがある。
あなたふとあなたふと、笠もたふとし、蓑もたふとし。
いかなる人が語伝え、いづれの人かうつしとどめて、
千歳のまぼろし、今爰に現ず。其かたちある時は
たましゐ又爰にあらむ。みのも貴し、かさもたふとし
たふとさや雪降らぬ日も蓑と笠
応定光阿闍梨之覓
卒塔婆小町は能の演目の一つでもあり、年老いた小野小町が卒塔婆の上に座って登場する。絵にはおそらく蓑笠を着た小野小町が描かれていたのであろう。蓑笠は落ちぶれた小野小町の卑賤さを現すと同時に聖なる存在であることをも表す。それゆえ「あなたふとあなたふと」となる。
「降らずとも」の「竹植ゑる日」というのは、旧暦5月13日の竹酔日のことで、この日に竹を植えると枯れないと言われていた。それゆえ「竹植ゑる日」は夏の季語となるわけだが、『去来抄』によれば芭蕉が見つけた季語で、「季節の一ツもさがし出だしたらんは後世によき賜也なり」という芭蕉の言葉を紹介している。この句も蓑笠が雨具ではなく晴れ着であることを示している。
「年暮れぬ」の句は『野ざらし紀行』の旅の句で、自らの旅姿を詠んだ物。旅もまた非日常であり「ハレ」といえよう。
蓑笠は世間一般の日常的な世界からの逸脱であり、それはドロップアウトでもあると同時に世俗のしがらみからの自由を得ることでもある。そこから卑賤は自由、何者にも囚われない聖なるものをも意味する。
網野善彦によれば、農民が一揆を起こすときも蓑笠を着たという。
こうした賎と聖との両義性は、わらわ髪、頭巾、柿帷子、乞食袋(大黒様の持っているような)、赤という色彩にも見られる。それらは両義的な意味で「お目出度い」というわけだ。
これに対して、蓑笠の喪失を訴える句も存在する。
笠もなき我をしぐるるかこは何と 芭蕉
これも『野ざらし紀行』の旅の途中で詠んだ句だが、『野ざらし紀行』には登場しない。
笠もなく冷たい雨にずぶぬれになっている姿は以下にも惨めだ。この感覚は近代に入っても受け継がれている。「雨の中傘をささずに」といったフレーズは演歌などでもありがちなフレーズだし、井上陽水の『傘がない』という歌もあった。
笠島はいづこさ月のぬかり道 芭蕉
これは『奥の細道』のなかで、藤中将実方の塚のある笠島を探した時の句だ。笠島という地名に掛けて、五月雨にぬかるんだ道を笠を探して歩くイメージが重ねあわされている。
「猿も小蓑をほしげ也」というフレーズも、雨の中で笠もなく濡れるがままになっている姿を描き出しているという点では、この二つの句の延長線上にある。
蓑笠は日常的世俗的な世界を追放される時の、家はなくても雨露をしのぐことを許す、いわば人間としての最低限の権利でもあり、自由の証でもあった。それがないということは、日本人にとってはもはや人間であることを否定されてるような惨めさを感じさせる。西洋人にはそういう感覚はないようだ。雨の多い風土が生んだ感覚だろう。
謡曲『蝉丸』では、皇子でありながら目が不自由だという理由で逢坂山に捨てられる蝉丸の宮を描いている。その時臣下の藤原清貫は蝉丸に蓑笠杖のセットを与えている。
清貫:この御有様にては、なかなか盗人の恐れもあるべければ、御衣を賜はって、蓑といふものを参らせ上げ候。
蝉丸:これは雨にきる田蓑の島と詠み置きたる、蓑といふものか。
清貫:また雨露の御為なれば、同じく笠を参らする。
蝉丸:これは御侍御笠と申せと詠み置きつる、笠といふものよのう。
清貫:又この杖は御身地しるべ、御手にもたせ給ふべし。
蝉丸:げにこれをつくからに、千年の坂も越えなんとかの遍照が詠みし杖か。
蝉丸は事実はともかくとして、琵琶法師の祖先とも言われている。実際、中世の芸能や職人の集団には、たいてい皇室を祖先とし、それを自らの技術の独占の理由とする伝承を持っていることが多く、このときの蓑笠杖のセットも、天皇の供御人としての身分を保証するものだったのであろう。
蓑笠は中世の「公界」と深く結びついたものだったと思われる。(続く)
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