2016年11月21日月曜日

  「ゑびす講」の巻の五句目。

   片はげ山に月をみるかな
 好物の餅を絶やさぬあきの風   野坡

 「片はげ山」はこの際単なる背景として捨てて、月を見る人のイメージから次の句へ展開する。これを位付けという。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政4年刊)には、「桑門隠者のもやうなど見定、それが有べき一事をのべたり。即換骨の意にして、打越の論なし。季節に無用の用あり。」とある。例によって『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)はほとんど同じ。
 桑門は出家僧で、山に篭って修行している僧の位で付けている。登場人物を番匠から出家僧に変えることで片はげ山の月を見る風景は換骨奪胎され、打越の趣向を離れ、輪廻を免れる。
 「季節に無用の用」というのは、いわゆる「放り込み」と呼ばれる、式目上季語が必要なため特に必然性もなく季語を放り込むことを言っているのだろう。「無用の用」は役に立たないことが役に立つこともあるという『荘子』の言葉。体に障害があるから戦争に取られなくてすむだとか、無能で使えないから権力闘争に巻き込まれないだとか、そういうことを言う。
 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)は、前半はほぼ一緒だが「無用の用」に関しては「秋風トハ季節ノ用フカラ無用ノ用と言モノ也。秋ノ風サビシサヲ含ム。是則用也。」と反論している。秋風の淋しさに桑門隠者の風情があるから放り込みではないとのこと。
 『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)は、「淳撲なる人の隠宅しておもしろくも、おかしくもなく明し居て外出もせず、唯好物の食類などたしなみ置さまを見せたり。<響>」と月見る人の位に踏み込んだ解釈をしている。概ね間違いないと思うが「響」ではなく「位」だと思う。
 『七部婆心録』(曲斎、万延元年)は「劉伯倫が友ならで餅徳頌作る雅人ならむ。」と言っているが、ちょっと漢籍に詳しいことをひけらかしたかったか。劉伯倫の「酒徳頌」はかつては有名だったか。芭蕉の談林時代の『次韻』の「鷺の足」の巻の発句の前書きにも引用されている。ただ、そういう出典関係を知らなくても普通に楽しめるというのが「軽み」のコンセプトなので蛇足。
 『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)も『徒然草』の真乗院盛親僧都の三百貫の芋頭のことを引き合いに出しているが、近代のようなもはや桑門隠者そのものが過去のものになって、どういう人たちなのかイメージしにくくなってしまった時代には、こういう解説は役に立つ。『徒然草』の第六十段に出てくる芋頭ばかり食ってるお坊さんだが、ググるとすぐに出てくる有名な話なので、ここでは割愛。
 秋風の頃は収穫前で、前年収穫した米がそろそろ底を尽く頃。米の値も上がり十団子も小粒になる季節だ。その時期でも餅を絶やさないというのはどんなけ餅が好きかという所なのだろう。
 季題は「あきの風」で秋。「餅」は昔は必ずしも正月のものではなかったので無季。ただし餅搗きは冬になる。

 六句目。

   好物の餅を絶やさぬあきの風
 割木の安き国の露霜   芭蕉

 「割木」は薪のこと。鉈で薪割りするから割木。「安き」は安価ではなくやすやすと手に入るという意味だろう。近くに里山があり、薪がいくらでも手に入るような田舎ということか。

秋風に露霜と言葉付けになっている。
 芭蕉があえてこういう言葉付けをするのは、まだ初折の表ということで軽く遣り句で流したかったからだろう。舞台を都から遠く離れた遠国のこととすることで、「好物の餅」はむしろその土地の名物の餅という意味に近いのではないかと思う。赤米か黒米か、あるいは粟稗などの雑穀を混ぜたものか、きっと素朴な味わいの餅があるのだろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政4年刊)には、「前句に辺土の風ありと見て、趣向し給ひけん。句作のさびハいふも更に附はたの寛なるをミるべし。季節又妙なり。」とあり、『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)には「二句の間にかぎりなき世態、まことに解つくすべからず。餅をたやさずくふてゐる人を貧士の驕者と見て、されど割木の安き国にて住よし、とことわりたる也。」とある。「解つくすべからず」というのは単なる遣り句だから特に明確な解もないということなのだと思う。
 『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には、「コハ翁出羽行脚の事を思出て付られけむ。彼国ハ年中餅料理とて数百品に調して、酒の肴にもせり。」とある。数百品は大袈裟だが、それもあるかもしれない。多分干し餅のことだろう。冬の寒さで天然のフリーズドライとなった餅は保存性が高く秋まで持つ。
 季題は「露霜」で降物。降物というと脇に「時雨」があり、ちょうど三句隔てている。

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