2016年11月26日土曜日

 さて、初の懐紙が終わり、二の懐紙の表に入る。
   十九句目

   砂に暖のうつる青草
 新畠の糞もおちつく雪の上   孤屋

 「新畠の雪の上の糞もおちつく」の倒置か。「上」は「かくなる上」のように「あと」という意味がある。「雪ノ解けた後糞もおちつく」という意味に取った方がいいのだろう。
 川原や中洲など川沿いの石や砂でできた土地を開墾して切り開いた畑に雪が積もり、それが解ける頃に肥料をやると土壌が改良され、折から春の青草が生えてくる。大きな川の河口付近は幾筋もの流れに分かれ、その間に無数の砂州が形成される。江戸時代にはこうした土地の開墾が進んでいた。
 肥料を先にやってから雪が積もると、雪の水分で酸欠を起し、肥料の発酵が不十分になって有機酸が発生し、肥料あたりを起こすらしい。肥料は雪の上(後)というのはそういう長年の経験から来た知恵であろう。
 この句に関しては古註の意見はかなり割れている。新畑が川原を開拓した所だということはほぼ一致している。「雪の上」の解釈が割れている。
 『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)には「新畠の 雪ノ上ニ芥土ヲオクトキハ、雪モハヤクキユトゾ。」とあり、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)には「雪の上は雪の後といふがごとし。」とある。『俳諧炭俵集註解』(棚橋碌翁、明治三十年刊)には、「雪の上ニ置し厩肥のしっかりとしたりとなり。」とあるが、この「雪の上ニ」も雪の後にという意味だろう。
 これに対し、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には、「配置し厩こえの上に雪降」とある。肥が先で雪が後になっている。『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には「配り置たる糞壌の雪きへて、おちつきしならん。」とあるが、この文章だと肥と雪どっちが先かよくわからない。「雪きへて配り置たる糞壌の」の倒置なら雪の後の肥になる。
 『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)には、「新畠はしんはた、糞はこえと訓むべし。」とある。それ以前の古註には読み方が指示されてないので、当初の読み方はよくわからない。新畠は多分「しんはた」で良いのだと思う。「新田」に対しての「新畠」であろう。「糞」は「くそ」なのか「こえ」なのかはよくわからない。ただ、『去来抄』にある「でっちが荷ふ水こぼしけり 凡兆」の句の初案の「糞こぼしけり」の読みが「こえこぼしけり」だったとしたら、ここも「こえ」であろう。
 なお、『去来抄』のこの場所には「凡兆曰、尿糞の事申すべきか。先師曰、嫌ふべからず。されど百韻といふとも二句に過ぐべからず。一句なくてもよからん、凡兆水に改あらたム。」とある。まあ、「糞」や「尿」はシモネタなので、一座一句と考えた方が良い。
 まあ、だけど芭蕉さんも、

 蚤虱馬の尿(バリ)する枕もと  芭蕉
 鶯の餅に糞する縁の先      同

という発句を詠んでいる。『荘子』にも「道はし尿にあり」とある。
 季題は「雪の上」が意味としては雪解けなので春になる。

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