2016年11月23日水曜日

 今日は寒い一日で、久しぶりにゆっくり休んだので、「ゑびす講」の巻の方も一気に進んだ。

 十句目

   ひだるきハ殊軍の大事也
 淡気(け)の雪に雑談もせぬ   野坡

 前句の軍仕立てを引きずってはいけない。前句を単なる「腹が減っては軍はできぬ」という慣用句として、冬の寒い中では人もついつい無口になるという情景を付けたと解した方がいい。1977年のヒット曲「津軽海峡冬景色」(作詞:阿久悠)の「北へ帰る人の群れは誰も無口で」みたいなものか。気温が下がると体温を維持するためにそれだけ多くのカロリーを消費するから、どうしても腹が減る。腹が減っては軍はできぬとばかりに人は無口になる。と、そういうわけでこれを軍仕立ての句の続きと見た注釈は残念。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「雪は趣向にして句作に用を結べり。尤、爰に此季を出せる変化に工夫の浅からざるを見る。」とある。
 『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)にも、「淡気の雪ハミぞれならん。是を趣向にして其用を結べり。尤、爰に此季を出せるハ変化に工夫の浅からざるを見る。」とある。後半はコピペ。
 『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)には「冬を附タルハ変化の大事ナリ。工夫スベキコトナリ。」とある。
 『俳諧七部通旨』(蓮池主人著、嘉永五年)には「其人を見定たる附也。雑談もせぬハひだるきさま成べし。消へ安き淡雪に空腹をとり合ハせたる句作りなり。」とある。
 『標註七部集』(惺庵西馬述・潜窓幹雄編、元治元年)には「冬の泡しき雪也。」とある。
 『俳諧七部集打聴』(岡本保孝、慶応元年~三年成立)には「淡気の 雪ふり出し、たれだれも寒くおぼえて、雑談もせぬうちに時刻うつりて空腹になる。」とある。
 こうした解釈の方が当を得ている。
 季題は「雪」で冬。降物。六句目の「露霜」から三句隔てている。

 十一句目。

   淡気の雪に雑談もせぬ
 明しらむ籠挑灯を吹消して  孤屋

 「籠挑灯」が何なのかは芭蕉の時代にはおそらく自明だったのだろう。『秘註俳諧七部集』(伝暁台註・政二補、天保十四年成立)にも「句意分明ナリ。」とだけある。
 しかし、幕末ともなると、既にわかりにくくなっていたか。ネットで調べても駕籠かきが使う小田原提灯のようなものを駕籠提灯と言ってたり、竹で編んだものに紙を張った看板用の提灯を駕籠提灯と言ってたりする。ただ、幕末明治の註でも概ね駕籠屋の使う小田原提灯系のものということで一致している。『標註七部集』(惺庵西馬述・潜窓幹雄編、元治元年)のみ、籠に紙を張った元和の頃(江戸時代初期)の提灯としている。
 『俳諧七部集弁解』(著者不明、年次不明)には「籠ハ書損ならん。箱の字成るべし。」とあるが、箱提灯も円筒形の小田原提灯系のもの。
 ここではおそらく駕籠かきの使う円筒形の折りたたみ式の提灯、小田原提灯系のものとし、雑談をせぬ者の位を駕籠かきに取り成しての句だと見て良いと思う。こういう物は場所によって呼び方がいろいろあるので混乱するのだろう。
 当時の旅は一日の距離を稼ぐために未明に出発することも多く、しばらく行って夜が白む頃提灯を黙々と吹き消して仕事を続ける。ついつい「いやー寒いっすねー」「マジ痺れるわー」なんて言いたくなるが、そこはお客さんの前、我慢するのがプロだ。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、「用体の差別といひ句体の虚実に変あり。」とある。打越の「ひだるきハ‥‥」があくまで比喩だったのに対し、提灯を打ち消すとえう実景を付ける。「用体の差別」というのは、「ひだるきハ」の例として、いわば前句が体となり、その用(用例)として「淡気の雪に雑談」が引き合いに出されたのに対し、それを体として付けているという意味か。
 上句下句を合せた時「明しらむ籠挑灯を吹消して淡気の雪に雑談もせぬ」となるが、これは「淡気の雪に雑談もせず、明しらむ籠挑灯を吹消して」の倒置。
 無季。夏冬は一応三句まではつづけられるが、一句で捨てる場合が多い。

 十二句目。

   明しらむ籠挑灯を吹消して
 肩-癖(けんぺき)にはる湯屋の膏薬  利牛

 肩癖は肩凝りのこと。湯屋の膏薬については、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)に「湯屋、床屋等にて昔は薬を売りしこと間々あり。明治初年、猶ほ湯屋にて按摩膏、角力膏の類を売り居りしなり。」とある。ネットでも大体同じような記事がある。
 これも句意は明瞭で、特に駕籠かきに限らず携帯用の提灯を持ち歩く職業の人が、明け白む頃に湯屋で買った膏薬を張って肩こりに鞭打ち、さあ今日も頑張るぞといった所だろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に「前底無用なるより奪て二句一章に作れり。」とある。「前底無用」は前句を必ずしも駕籠かきが旅の途中でという風景を引きずらなくても良い、むしろそれを一度忘れよということではないかと思う。「二句一章」は特に付け筋によらず一首の和歌のように構成したということで良いと思う。
 これに対し、『七部婆心録』(曲斎、万延元年)は「前句てノ余韻明しらむ迄駕児の物堪し体ト見立、建場に休む間の用を付たり。」とし、「奪て二句一章に作れりト云ハ並物也。」と遅日庵杜哉をディスってる。曲斎はあくまで前句の人物を駕籠かきだとし、その用を付けたのであって、「無用」ではないと主張する。だが、これだと展開が甘くなる。
 無季。

 十三句目。

   肩-癖にはる湯屋の膏薬
 上をきの干葉刻もうハの空   野坡

 「干し葉刻む」で肩に膏薬を張った人物を女性にし、片肌脱いだ熟女の色気に転じている。「うわの空」は肩こりがつらいとも取れるが、誰かのことを思って上の空になっているとも取れる。もちろん恋への展開を予想しての恋呼び出しであろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)に「肉太なる女の肌ぬぎたる姿ミるがごとし。変化ハ更に自他明か也。」とある。遅日庵杜哉さんは熟女好き。
 これに対し、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)は「賤の女の四十もこえたるが、肩より胸のあたりまで、きたなく張りちらしたるさまと思ひよせたり。其痛みに堪えかねし余情をうはの空とあしらひたる也。」と言う。幻窓湖中はひょっとして蕪村派(ロリ)?
 無季。

 十四句目。

   上をきの干葉刻もうハの空
 馬に出ぬ日は内で恋する    芭蕉

 恋呼び出しとあっては、それに答えないのは野暮というもの。肩凝りは前句の話で、ここではそれを忘れ、棚の上に置いた乾燥させた野菜を切っている多分若い女性に取り成されている。相手は街道で馬を引く馬士(ばし)か何かだろう。仕事のない日は家で睦み合うのだが、それを思うと干し菜を刻む手もうわの空になる。
 位付けの見本の一つとして、『去来抄』はこの句を引いている。

  「上置の干菜刻もうはの空
 馬に出ぬ日はうちで恋する
此前句は人の妻にもあらず、武家町屋の下女にもあらず、宿や問(とひ)や等の下女也なり。」

 ここでは干葉が干菜になっているが意味は同じだろう。
 『七部婆心録』(曲斎、万延元年)には『去来抄』に関して、「宿屋問屋の下女ト云ハ、食品をしらぬ故也。」と言っているが、幕末と元禄では宿屋の食事事情もかなり違っていることだろう。
 また同書は各務支考の『続五論』を引いてこう記している。「賤しき馬士の恋といへども、上置の干菜に手をとどむといへバ、針をとどめて語るといへる宮女の有様にも、心ハなどか劣らむ。如此ハ恋の本情を見て、恋の風雅を付たりト賛じたり。」とある。この言葉は『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)でも引用されている。
 これは賤しき馬士が干し菜を手にとどむということなのか。そうではないだろう。宮女の有様に例えられるのだから、宿屋の娘が干し菜を手にとどむと見るべきだろう。
 『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、傍輩なる男の脚ふミそらして、挑み居る風情ならん。」とある。また、『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)は、「暁台曰く、傍輩なる男の風情と見るべしと。下品なる男女の挑みあひたるさま見えていとをかし。」とある。「挑む」は古語辞典だと「恋の誘いかけ」とあり、宮女の「語る」と同様、それ以上の想像はしないほうが良いのか。源氏物語でも時折「語る」という言葉が出てくる。
 無季。「恋」は恋。「馬」はここでは姿として登場しないので獣類といえるのかどうかは微妙。

0 件のコメント:

コメントを投稿