明日は十五夜だが、今日の月はまだ満月にはまだまだだ。うっすらと雲がかかり、雲の中を月が通り過ぎてゆく眺めは悪くはない。
お月見というと、
盲より唖のかはゆき月見哉 去来
の句をふと思い出す。「かはゆ」は本来の「可哀相」の意味で、今日の「可愛い」の意味ではない。
目の不自由な人よりも発話に不自由な人のほうが可哀相だというこの句は、一般的には、名月を見れない人よりも名月を見て何も言えない人のほうがかわいそうだ、という意味に解されている。
今日のように月見が個人的なもので、いわゆる天体ショーとして捉えられる場合は、月そのものが大きな感動を与えるかのように錯覚するかもしれない。
しかし近代化の前の人たちにとって、月はもっと身近なもので、月の明るさは生活を左右するものだった。月が明るければ夜通し起きて飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしたり、平安貴族の若者たちは、ここぞとばかりに恋人のもとへと通い、楽器を共に演奏したりするいわゆる「あそび」を行ったり、時にライバルとかち合ったりした。
月の夜はみんなで起きていて音楽や物語などを楽しんだりしたならば、耳が研ぎ澄まされていて音楽に類稀なる才能を発揮する目の不自由な人や、文字に頼らない記憶力でたくさんの物語を記憶している琵琶法師など、案外月見の席で目の不自由な人はスターだったのではないかと思う。
芭蕉も貞享三年に、
座頭かと人に見られて月見哉 芭蕉
の句を詠んでいる。これも俳諧興行の席で古の風雅から最新の流行まで雄弁に語る芭蕉さんに、そんなに口が上手いなら琵琶法師にでもなれよと言われたとか、そういうことだったのではないかと思う。そうやって座を盛り上げている時というのはえてして月を見ている暇がないものだ。
だが、だからと言って月見の席で終始無言な人が可哀相かというと、そんなこともないだろう。去来の「唖のかはゆき」の句は『去来抄』に「事新敷(ことあたらしく)感ふかしといへど、句位を論ずるに至てハ甚(はなはだ)下品也。」とあるように、その場の流行の句としては受けたけど、句としてはたいしたことない。(「下品」という言葉は今日でいうお下劣という意味での下品げひんではなく、『文選』の上品、中品、下品という分類によるもの。)
この句の疵は月夜の座頭の意外な活躍を見出したまでは良かったが、「唖のかはゆき」は余計だったという所にある。芭蕉の風雅勝れり。
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