昨日は箱根千石原へ薄を見に行った。昔(70年代)遠足でバスで通ったときには随分広いところだと思っていたが、今見ると山の麓のほんの一角に過ぎなかった。大人になったせいで小さく見えるのか、それとも薄が原が縮小したのかはよくわからない。それでもきちんと保存されているせいか、他の雑草もなく見事な薄が原だった。
薄は青い葉と白い穂が日の光に輝いていて銀の野原だった。きれいなのは穂だけでなく、葉に反射する光も大事だとわかった。これが一ヶ月もすると枯れ薄となって金の野原に変るのだろう。
江戸時代の人は薄が原は当たり前の景色だったのか、
面白さ急には見えぬ薄かな 鬼貫
という句もある。失われてみると、まとまった薄の群生を見るだけで圧倒される。
揺れる薄は手招きするが如くで、
何ごとも招き果てたる薄かな 芭蕉
風に揺れれば、
ぞっとするほどそよかかる薄かな 額翁『伊達衣』
一通り風道見する薄かな 等盛『伊達衣』
秋の野をあそびほうけし薄かな 李由『韻塞』
ただ、昔は川原などに野ざらしが落ちていたりしたせいか、死を暗示するものでもあった。月や鹿は付き物。
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