今日も引き続き宗砌の『初心求詠集』から、連歌の「てには」について見てみよう。
「一、はににをもて付事
うらの夕はけぶりなりけり
霞たつ春のあしたとおもひしに
月にはいとふ秋のむら雲
花を見る春はのこれと思ひしに
春は猶ある入あひの鐘
身をなげく心も今はつきぬ日に」
前回の「はにはをもて付事」だと、何々は何々で、何々は何々と並列する形になるので展開としてはそれほど大きくならない。大きく展開させたい時には、「何々だというのに、何々は何々」というふうに展開させる。
たとえば、前回の「薄が原は銀の輝き」だったら、
薄が原は銀の輝き
荒涼とした風景と思いしに
みたいな感じか。現代語だとあまり「しに」という結びはないので、
薄が原は銀の輝き
荒涼とした風景と思ったが
の方がいいか。
『初心求詠集』の例句の方も、朝の霞かと思ったら夕べに漂う煙だった、と違えて付けている。月には嫌う雲も花の雲なら残れという、も同様に月に花と違えて付けている。もう一つも、嘆きが尽きないというのに春は、と付く。
違え付けにするのなら、
薄が原は銀の輝き
夕暮れの菜の花の土手俤に
なんてのはどうだろうか。
月にはいとふ秋のむら雲
春は猶ある入あひの鐘
この二つの「は」は単なる主格の「は」ではなく、係助詞になっている。係助詞というと学校では「や」「か」「ぞ」「こそ」の四つしか習わないが、「は」も「も」も係助詞になる。
この二句は、
月にいとふは秋のむら雲
春猶あるは入あひの鐘
と言い換えることが出来る。
「も」の場合も、たとえば、「春立つらしも」は「春もたつらし」に替えることができる。
今日ばかり人も年寄れ初しぐれ 芭蕉
の句も、「今日ばかり人年寄るも初しぐれ」が「今日ばかり人も年寄る初しぐれに」なり、それをさらに「年寄れ」と力強く命令形に変えた形になっている。並列の「も」ではなく強調の「も」、いわゆる「力も」はこうした係助詞的用法がもとになっている。
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