2017年10月20日金曜日

 宗砌『初心求詠集』の最初の方に、こう書かれている。

 「一、連歌は言葉かかりを元にして、心をもとむる事なかれ、いかに心面白くとも詞下賤(げす)しく、かかり幽玄ならずば徒事なり、されば摂政殿も、レンガは先かかり第一也、かかりは吟なり、吟はかかりなりと仰せられけるにや、」

 摂政殿というのは二条良基公のことで、確かに二条良基の『連歌十様』には、

 「一、連歌ハカカリ・姿ヲ第一トスベシ、イカニ珍敷事モ、姿カカリ悪クナリヌレバ、更ニ面白モ不覚、譬ヘバ微女ノ麻衣キタルガゴトシ、ヤサシク幽玄ナルヲ先トス、雪月花ノ景物ナリトモ、コハゴハシキハ徒事ナリ、是ヲ心得分ベキ物ナリ、」

とある。ただし、「心をもとむる事なかれ」とは言っていない。『連歌十様』の方はこう続く。

 「ニ、連歌は心ヲ第一トスベシ、古事ヲ新クスルヲ吉トスベキニヤ、強チニ珍敷事不可好、一字二字ニテ新シクナル也、是第一用心也、‥略‥」

 また、同じく二条良基の『連理秘抄』には、

 「一、心を第一とすべし、骨のある人は意地によりて句柄の面白き也、ただ寄合ばかりを多くおぼえて、古材料をさし合わせて取立てたるばかりにて、我が力の入ぬは返々面白き所のなき也、」

とある。
 「心」という言葉は多義で、かつては単に「意味」という意味でも用いられた。更には日本の心だとか風雅の心だとか、精神論にも用いられる。
 宗砌が『初心求詠集』で言おうとしたのは、連歌は先ず言葉の続き具合が正しく、上句下句合わせたときの文法的なつながりの正しさを第一とし、それが内容として面白いかどうかというのはその次だという意味ではないかと思う。
 先ずは繋ぐことが肝心。それは蹴鞠に近いかもしれない。蹴鞠はいかに鞠を蹴るテクニックを競おうとも、基本的にはパス回しで、相手が取れないような球を蹴ってはいけない。サッカーのシュートではなく、あくまで輪になってみんなで鞠を落とさないように蹴る一種のリフティングにすぎない。そのなかでテクニックを競う。
 戦後の高度成長期には会社や学校の休み時間にバレーボールの円陣パスをするのがはやった時期があったが、あれに似ている。あくまでパスをつなぎ、いかに落とさないように続けるかが大事で、テクニックは二の次になる。
 連歌も基本的には百韻・千句続けることがメインで、一句一句の面白さはその次ということが肝心だったのだろう。だから、ネタとしての面白さにこだわらずに、先ずはきちんと意味が通っているかどうかだったのだろう。
 文法的に正しく意味がきちんと通れば、とりあえずは合格点で、あとはまず続ける。百韻・千句興行ともなれば、一句付けるのに考える時間はない。その中で時折面白い句が生まれればそれで良かったのだろう。
 おそらく、江戸時代でも延宝の頃の談林俳諧までは百韻興行が主流で、井原西鶴の大矢数興行などもあったように、一句一句の意味よりも、どれだけ早く長く続けられるかの方に重点が置かれていた。
 おそらく書物の普及がこうした連句の本来のあり方を変えていったのだろう。書物にするには紙を節約したい。少ない紙面でいかに面白くするかということに知恵を絞れば、自ずと一句一句のネタとしての面白さが要求される。早く長くということに意味がなくなり、一句の意味が重視されれば、歌仙のような短い形式にならざるを得ない。
 蕉門は一句一句の意味の濃さという点では、俳諧を一つの頂点にまで導いたが、結局は俳諧の衰退の始まりになった。バレーボールでも円陣を組んでパスを廻すだけなら誰でも気軽に参加できる。ところが試合となるとそうはいかない。上手い下手がはっきり分かれてしまう。
 俳諧興行も、すばやくさくさくとつけて行きあまり内容にこだわらない興行なら、誰でも気軽に参加できた。それが一句一句に何か面白いネタだとか、深い精神性なんかを要求されるようになると、みんな一句毎にうんうん呻って考え込んでしまう。本来楽しく談笑する場であった興行の席が、みんな俯いて呻ってばかりでちっと進まず、歌仙一つ巻くのに何日もかかってしまうような状況が、蕉風確立期の蕉門に既に生じていたのではないかと思う。これでは興行は楽しくない。興行というよりは苦行だ。
 そうなってくると、今度は言葉のかかりや文法なんてどうでもよく、とにかくネタとして面白ければいいのなら、別に句を連ねなくてもいいんじゃない?ってことになる。こうして前句付けが流行し、それがやがて川柳の流れを生んでゆくことになる。
 芭蕉はこうした動きに対抗するために、『奥の細道』の旅を終えたあと、「軽み」を提唱して、何とか句を楽につけられるようにと工夫をしてゆくのだが、結果としては文法的にあやふやな、付いているのか付いてないのかわからないような句が多くなってゆくことになった。
 江戸中期になると、句と句とのつながりはほとんどどうでも良くなり、だんだんと近代連句のような連想ゲームに陥ってゆく。江戸後期の蕉門俳諧の注釈は、そうした混乱の中で書かれている。
 宗砌はこうした三百年後の連句の行方を読んでいたかのように、「心をもとむる事なかれ」と言い捨てている。連歌は続けることに意味があるのであり、意味に固執すると衰退することをあたかも知っていたかのようだ。
 ただ、宗砌のこの考え方は一般的ではなかった。一般的には二条良基公のように、かかりも心も両方第一だったのだろう。あまり奇抜なネタに走るのは「心」ではなく「意地」によるものだと認識していた。

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