今日は旧暦九月十日。今週ももうすぐ台風が来る。今日も一日雨だった。
それでは「猿蓑に」の巻の続きを。
ニ十三句目
喧嘩のさたもむざとせられぬ
大せつな日が二日有暮の鐘 芭蕉
これは一種の「咎めてには」ではないかと思う。この頃の俳諧では珍しい。
ある程度の歳になれば誰だって大切な日が年に二日ある。父の命日、母の命日、その恩を思えば喧嘩なんかして殺傷沙汰になって命を落とすようなことがあれば、そんなことのために生んだんではないと草葉の陰で親がなげき悲しむぞと、それを諭すかのように夕暮れの鐘が鳴り響く。
今日なら喧嘩は戦争に置き換えてもいいかもしれない。みんな親に大切に育てられた子供たちだ。無駄に殺しあうことなかれ。ただ、いろいろな家庭があって虐待された子供たちもいたりするから世の中難しい。ちなみに江戸時代は幼児虐待は死刑だった。
ニ十四句目
大せつな日が二日有暮の鐘
雪かき分し中のどろ道 支考
さて、しんみりした後の展開は難しいが、ここは気分を変えたいところだ。
とりあえず「暮れの鐘」は年末の除夜の鐘のことにして、参道の雪かきをしたが、多くの人が残った雪を踏みしめて通るため、かえって泥道になって歩きにくくなるという「あるある」で展開する。
二十五句目
雪かき分し中のどろ道
来る程の乗掛はみな出家衆 惟然
「乗掛」は乗り掛け馬で、ネットで調べた所、児玉幸多『宿場と街道』の引用で、
「(二)乗掛(乗懸)というのは、人が乗って荷物をつけたものをいう。馬の背の両側に明荷(つづら)を二個つけ、その上に蒲団をしいて乗る。明荷は今では相撲が場所入りの時にまわしや化粧まわしを入れて持ち運ぶために使われている。その荷を乗懸下とか乗尻という。乗掛荷人共というのは、人と荷物がある場合ということである。乗尻の荷物は、慶長七年の規定では十八貫目ということになっていたが、後には二十貫目までとなり、ほかに蒲団・中敷・跡付・小付などで、三、四貫目までは許された。それと人の目方を合わせれば四十貫ぐらいになるわけで、その賃銭は本馬と同じであった。」
とあった。
北国の大きなお寺の法要だろうか。大荷物を抱えたお坊さんたちが馬で次々とやってくる。そのせいで雪かきした道は泥道になる。
二十六句目
来る程の乗掛はみな出家衆
奥の世並は近年の作 芭蕉
陸奥の作柄は近年にない豊作だという。寺領の豊作でお寺関係はさぞかし潤ったことだろう。
二十七句目
奥の世並は近年の作
酒よりも肴のやすき月見して 支考
前句が秋に転じたところで、ここで遠慮せずにすかさず月を出すのがいい。
前句を商人などの噂話とし、それとは関係なく月見の情景を付ける。
何かと見栄を張りがちな武家の月見と違い、商人は質素な肴で酒を楽しむ。「やすき」は廉価と気軽の両方の意味を掛けている。
二十八句目
酒よりも肴のやすき月見して
赤鶏頭を庭の正面 惟然
芭蕉が福井の洞哉の所を尋ねた時の『奥の細道』に、、
「市中でひそかに引入て、あやしの小家に夕貌・へちまのはえかゝりて、鶏頭・はゝ木々に戸ぼそをかくす。」
とある。路地裏の小さな家の庭など、どこにでもある花だったのだろう。「肴のやすき」の貧相なイメージから、貧相つながりで付けたのだろう。
薄だったら農家の風情で、菊だったら武家の立派な庭、商人には鶏頭が似合うというところか。
なお、鶏頭は食用にもされていたか、
味噌で煮て喰ふとは知らじ鶏頭花 嵐雪
の句もある。嵐雪のような風流人が知らなかったのだから、この時代には既に廃れていたのだろう。
二十九句目
赤鶏頭を庭の正面
定まらぬ娘のこころ取しづめ 芭蕉
この巻にはなかなか恋の句が出ず、このまま終わるのも寂しいというのか、やや強引に恋に持ってゆく。
ままならぬ恋に情緒不安定になっていたのか。庭の赤鶏頭の花に心を鎮めるというのが表向きの意味だが、赤鶏頭から顔を真っ赤にしてヒステリックな声を上げる女を連想したか。
三十句目
定まらぬ娘のこころ取しづめ
寝汗のとまる今朝がたの夢 支考
前句の興奮を夢魔のせいとする。あるいは嫉妬に狂った生霊を飛ばす人でもいるのか。
鈴呂屋書庫の方もよろしく。http://suzuroyasyoko.jimdo.com/
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