「猿蓑に」の巻の続き。
五句目
篠竹まじる柴をいただく
鶏があがるとやがて暮の月 芭蕉
昔の養鶏は平飼い(放し飼い)で、昼は外を自由に歩き回り、夕暮れになると小屋に戻って止まり木の上で寝る。ちょうどその頃山に入っていた多分爺さんが、刈ってきた柴を頭の上に載せて帰ってくる。
鶏というと、陶淵明の「帰園田居其一」の、
狗吠深巷中 鷄鳴桑樹巓
路地裏の奥では犬がほえて、鶏は桑の木の上で鳴く
を思わせる。柴を頂いた爺さんも実は隠士だったりして。
六句目
鶏があがるとやがて暮の月
通りのなさに見世たつる秋 支考
舞台を市の立つようなちょっとした街にし、登場人物を柴刈りの爺さんから露天商に変える。末尾の「秋」はいわゆる放り込みで、とってつけたような季語だが、人通りの途切れたところに秋の寂しさを感じさせる。
此道や行人なしに秋の暮 芭蕉
の句はこの二十日余り後の九月二十六日に詠まれることになる。
初裏
七句目
通りのなさに見世たつる秋
盆じまひ一荷で直(ね)ぎる鮨の魚 惟然
盆仕舞いはお盆の前の決算のことで、年末の決算に対する中間決算のようなものか。
馴れ寿司を仕込むために魚屋に声かけて、天秤棒に背負っている魚を全部買うから負けてくれと交渉する。人通りのないところで他に売れそうもないので魚屋もしぶしぶ承諾し、今日は店じまいとなる。
鮨は夏の季語だが、お盆(旧盆)の頃でもまだ暑いので十分醗酵させることが出来る。
八句目
盆じまひ一荷で直ぎる鮨の魚
昼寝の癖をなをしかねけり 芭蕉
この時代よりやや後の正徳二年(一七一二年)に書かれた貝原益軒の『養生訓』巻一の二十八には、
「睡多ければ、元気めぐらずして病となる。夜ふけて臥しねぶるはよし。昼いぬるは尤も害あり。」
と昼寝を戒めている。寝すぎは健康に良くないという考え方は、益軒先生が書く前からおそらく一般的に言われていたことなのだろう。
だが、そうはいってもまだ残暑の厳しい旧盆のころなら、なかなか昼寝の癖を直す気にはなれない。
ましてお盆前の中間決算の時に魚を大量に安く買って鮨を作るような要領のいい人間なら、無駄に働くようなことはしない。昼寝の楽しみはやめられない。
前句の人物から思い浮かぶ性格から展開した、「位付け」の句といっていいだろう。
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