昨日今日と小雨がしとしと降り続けた。こんな日がしばらく続くのかな。
とりあえず、宗砌『初心求詠集』の続き。
「一、上下らんを付てちがふ事
袖や涙のはてをしるらん
別ては又あふことをたのむ身に
人の心はさらにたのまず
しら菊やうつろふ中にのこるらん
暁しれと鳥やなくらん
寺遠き里には鐘の音もなし
人の心のなき世なりけり
散のこる花をば風やおしむらん
うきやあしたの別れなるらん
夕暮はまつに心のなぐさみて
ふりぬる橋は末もつづかず
その名をば富士の煙やのこすらん」
これは、下句の「らん」に上句を付けるときは「らん」を疑問に取り成し、下句に上句の「らん」を付けるときには「らん」を反語として用いることをいう。
「別ては又あふことをたのむ身に」つまり未練が残る身には袖に涙が果てることがあるだろうかと疑問に取り成し、「人の心はさらにたのまず」に「らん」で上句を付けるときには、白菊は残るだろうか残るはずもない、人の心はさらに、と付く。
暁知れと鳴く鳥も、鐘の音がないから鳥で知るのだろうかとなり、人の心のなき世は、風も散る花に容赦なく吹くはんとなり、「惜しむらん」は反語になる。
朝には別れになるだろうか、という前句には夕暮れは待つに心の慰めてと違えて付け、古い橋は富士の煙の消えてゆくように後に残らないと付く。
ただ、実際の連歌では、下句が疑問、上句が反語と決まっているわけではない。ただ初心者にはその方がつけやすいということだろう。
文和千句第一百韻の九句目
里こそかはれ衣うつ音
旅人のまたれし比や過ぬらん 救済
は上句を疑問で付けている。み
水無瀬三吟の五句目、
船さす音もしるき明け方
月やなほ霧渡る夜に残るらん 肖柏
は反語の「らん」で付けている。
水無瀬三吟の四十三句目、
月日のすゑやゆめにめぐらん
この岸をもろこし舟のかぎりにて 宗長
の前句の「らん」は疑問になっている。
文和千句第一百韻の四十七句目、
我が家々も春やきぬらん
老らくの身にあらたまる年はなし 救済
の場合は前句を春なんて来やしないと反語にして、あらたまる年もなしと展開する。
「一、もにもにて付事
入あひの鐘もけふは聞えず
花散し後には風も別にて
人のたもとも露やをくらん
うき秋は身にもかぎらぬ夕にて」
これは「はにはをもて付事」と似ている。何々も何々なら何々も何々だ、という付け方だ。
いがらしみきおの漫画『ぼのぼの』のアライグマの父さんの台詞「青い空も嫌いなら白い雲も嫌いだ」を連句にするなら、
雲の白きも嫌うべきなり
青い空それを厭うも道理なら
って感じか。
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