2017年6月6日火曜日

 先日、平安末から江戸中期までのエピステーメの話をしたが、芭蕉の俳諧と西行の和歌との間の距離の近さは、蕉門の虚実の論と西行の『梅尾明恵上人伝記』に見える歌論との近さにも現れている。

 「西行法師常に来りて物語して云はく、我歌を読むは、遥かに尋常に異なり。華・郭公・月・雪、都(すべ)て万物の興に向ひても、凡そ所有相皆是虚妄なる事、眼に遮り耳に満てり。」(『明恵上人集』久保田淳・山口明穂校注、1981、岩波文庫、p.151)

 花、ホトトギス、月、雪など、いわゆる花鳥風月の興で以て歌を詠むにしても、それらのものが皆虚妄だということを常に意識している。つまり花鳥風月四季折々の景物などは基本的に「虚」に属するもので、ただそれは何かを言い興すための「興」にすぎない。

 「又読み出す所の言句は、皆真言に非ずや。」(『明恵上人集』久保田淳・山口明穂校注、1981、岩波文庫、p.151)

 花鳥風月の虚から言い興した言葉は真言ではないのだろうか。この疑問系は反語として打ち消される。

 「華を読めども実(げ)に華と思ふ事なく、月を詠ずれども実に月と思はず。只此の如くして縁に随ひ興に随ひ読み置く処なり。」(『明恵上人集』久保田淳・山口明穂校注、1981、岩波文庫、p.151~152)

 花を詠んではいても物理的な花を詠むのではなく、月を詠んでも天体としての月を詠んでいるのではなく、ただ言葉の縁でもってそこから何かを言い興す、その「興」に随って詠み置くにすぎない。
 花も月も歌に詠まれ、実際に花も月もないところで人がそれを耳にした時、それは花そのものでも月そのものでもない、ただ聞く人の記憶の中にある何かを呼び覚ますに過ぎない。

 「紅虹(こうこう)たなびけば虚空色どれるに似たり。白日かがやけば虚空明かなるに似たり。然れども虚空は本、明かなる物にも非ず、又色どれる物にも非ず。」(『明恵上人集』久保田淳・山口明穂校注、1981、岩波文庫、p.152)

 『般若心経』の「色即是空、空即是色」あたりを念頭においているのかもしれないが、本となる空に色はなく、そこに光が当たれば様々な色が生じるという発想は、後の『朱子学』の未発・既発の考え方に近い。
 『去来抄』「修行教」では

 「あらまし人躰(じんてい)にたとへていはば、先づ不易は無為の時、流行は座臥行住屈伸伏仰(ざぐゎぎゃうぢゅうくっしんふくぎゃう)の形同じからざるが如し。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』穎原退蔵校訂、1939、岩波文庫、p.63)

とあるが、これは空に喩えて言えば、不易は色のない空間としての空で、流行はそこに虹が出たり太陽が明るく照ったりして「形同じからざるが如し」ということになるだろう。

 「我又此の虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どると云へども、更に蹤跡なし。此の歌即ち是如来の真の形躰也。」(『明恵上人集』久保田淳・山口明穂校注、1981、岩波文庫、p.152)

 これは蕉門の言葉で言うなら、不易の心の上において種々の流行を彩るとはいえ、それを後追いしているわけではない。景物はあくまで心の誠を述べるための興であり、景物をそのものを追い求めているのではない。
 こうしてできた歌は如来の真の姿だという。如来も絵に描いたり木や石で彫ったりするが、それはあくまで心の中にある如来を呼び起こすものであって、そこにある絵や仏像が如来なのではない。

 「去れば一首読み出でては一躰の仏像を造る思ひをなし、一句を思ひ続けては秘密の真言を唱ふるに同じ。我此の歌によりて法を得る事あり。若しここに至らずして妄(みだ)りに人此の道を学ばば、邪路に入るべしと云々。」(『明恵上人集』久保田淳・山口明穂校注、1981、岩波文庫、p.152)

 要するにいたずらに華麗な景物ばかりを追い求めて実のない歌を詠むのは徐道というわけだ。歌は景物を描写すれば足りるというものではない。そこに心がなければならない。「やまとうたは人の心をたねとして」と『古今集』の仮名序にもある。心がなければ歌にはならない。

 「さて読みける、

 山深くさこそ心はかよふとも
     すまで哀れはしらん物かは

喜海其の座の末に在りて聞き及びしまま之を注す。」(『明恵上人集』久保田淳・山口明穂校注、1981、岩波文庫、p.152)

 「すむ」はお約束で「住む」と「澄む」を掛けているのだろう。言の葉の道の奥山深く分け入って、様々な古歌を学んだとしても、珍しい景物に心を奪われていては良い歌は作れない。むしろそうした景物を虚と見極め、心を澄まし、空にすることが肝要というわけだ。

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