「紫陽花や」の巻の続き。
十七句目
雲雀の羽のはえ揃ふ声
べらべらと足のよだるき花盛 子珊
(べらべらと足のよだるき花盛雲雀の羽のはえ揃ふ声)
さて花の定座だが、練雲雀からどうやって花に持ってゆくのか、芭蕉からの難題だ。
結局子珊の答は前句を比喩に取り成すことだった。羽の生えたばかりの雲雀は鷹の餌食になるくらい動きも緩慢だというところから、疲れきった花見客をそれに喩える。
「べらべらと」というオノマトペは常用されていたわけではなく感覚的に言い放ったものだろう。「ぶらぶらと」だと普通の散歩だが、「べらべらと」だともっとけだるい感じがする。花見ではしゃぎすぎたか、人の多さで辟易したか、はたまた飲みすぎたか、あるいは祭の後の寂しさか、行きは上げ雲雀でも帰り道は練雲雀の声のようにけだるい声になる。
季題は「花盛」で春。植物、木類。
十八句目
べらべらと足のよだるき花盛
ひらたい山に霞立なり 杉風
(べらべらと足のよだるき花盛ひらたい山に霞立なり)
平たい山は上野山のことだろう。芭蕉の時代から花の名所だった。標高はせいぜい二十メートルくらい。桜が咲けば遠くから見ると白く霞がかかったように見える。
昔は染井吉野ではなく山桜だったから、その白い花は霞や雲に喩えられた。
季題は「霞立」で春。聳物。「山」は山類。
二表
十九句目
ひらたい山に霞立なり
正月の末より鍛冶の人雇 桃隣
(正月の末より鍛冶の人雇ひらたい山に霞立なり)
平たい山を平城山(ならやま)に取り成したのだろう。特に佐保山の霞は古来歌にも詠まれている。平らにすることを「ならす」というあたりが語源か。
飛鳥の天の香具山も亀の甲のように平たい山で、香具山の霞も古歌に詠まれている。
奈良には鍛冶屋が多く、農閑期には農家の人も臨時に雇ったりしたのだろう。
『校本芭蕉全集』第五巻の中村注は、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)の「二月・八月をもて鍛冶の時節とす。故にむかう槌の人雇ひしたるさまをあしらひたり」を引用している。
季題は「正月」で春。「鍛冶」は人倫。
二十句目
正月の末より鍛冶の人雇
濡たる俵をこかす分ヶ取 八桑
(正月の末より鍛冶の人雇濡たる俵をかす分ヶ取)
これは「鍛冶」を「梶」に取り成したか。今では「梶」は船の方向を変えるための道具だが、本来は船を進めるための櫓や櫂を意味していた。
前句の「正月の末より」は捨てて、舟漕ぐ人足を雇って、難破船から濡れた米俵を転がし、山分けした。
『校本芭蕉全集』第五巻の中村注は、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)の、
「人雇ひといふより起して、破船あるひは暴風などにて、ぬれたる俵の価をさげて売る折々あり。一口に買入れわけ取するさまを見せたり。」
を引用している。これは「鍛冶」をそのままの意味にして、米を買って分けたとするわけだが、それだと単なる共同購入で、わざわざ「雇う」意味がわからない。
無季。
二十一句目
濡たる俵をこかす分ヶ取
昼の酒寝てから酔のほかつきて 芭蕉
(昼の酒寝てから酔のほかつきて濡たる俵をこかす分ヶ取)
さて、取り成しの応酬になると芭蕉さんも負けてはいられない。これも「俵」の「瓢」への取り成しだろう。
昼間っから酒を飲んでいい気持ちになってうとうとしていると急に酔いが回ってきて、酒のこぼれて濡れた瓢箪を分けてもらって飲もうとしてひっくり返す。
無季。
二十二句目
昼の酒寝てから酔のほかつきて
五つがなれば帰ル女房 子珊
(昼の酒寝てから酔のほかつきて五つがなれば帰ル女房)
「五つ」は時刻の暮五つのことで、春分秋分の頃だと午後八時くらいになる。昼の酒に酔いつぶれて、眼が覚めたら午後八時で真っ暗。女房はあきれて里へ帰っちまったってんだから情けない話だ。
無季。「女房」は人倫。
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