今日は雨も風も強く嵐のようだった。
それでは「紫陽花や」の巻の続き。
十三句目
山のかぶさる下市の里
草臥のつゐては旅の気むづかし 杉風
(草臥のつゐては旅の気むづかし山のかぶさる下市の里)
これは難しい。「草臥(くたびれ)のつゐて」は多分「草臥つく」の変化したものだろう。「草臥」は語源的には草の上にひれ伏すことなのだろう。「草臥つく」はその疲労の慢性化したものをいうのだろうか。「気むづかし」は気味が悪い、恐ろしいという意味。
中村俊定注には「山間の里から旅、旅から草臥を趣向とし、宿とる、とらぬの仲間あらそいと句作した」とあるが、どこから仲間争いが出てきたのかよくわからない。
疲労が重なることで、山間の里の山が不気味に迫って、襲い掛かってくるように見えるということか。下句の「かぶさる」を生かすなら、そういう解釈になる。
無季。「旅」は旅体。「仮枕」から三句隔てている。
十四句目
草臥のつゐては旅の気むづかし
四日の月もまだ細き影 桃隣
(草臥のつゐては旅の気むづかし四日の月もまだ細き影)
前句の「気むづかし(恐ろしい)」を薄暗がりのせいにする。
二日三日だと夕暮れの空に月はあるものの真っ暗になる前に沈んでしまうが、四日だと真っ暗な中に四日の月が残っている。ただ、地面を照らすにはあまりに弱々しい光で闇とかわらない。
季題は「月」で秋。夜分、天象。
十五句目
四日の月もまだ細き影
秋来ても畠の土のひびわれて 八桑
(秋来ても畠の土のひびわれて四日の月もまだ細き影)
旱魃だろうか。旧暦文月の四日になっても恵みの雨は降らず、畠の土はひび割れている。
季題は「秋」で秋。
十六句目
秋来ても畠の土のひびわれて
雲雀の羽のはえ揃ふ声 芭蕉
(秋来ても畠の土のひびわれて雲雀の羽のはえ揃ふ声)
さてまたまたこれは難しい。秋は三句続けなくてはいけないのに「雲雀の羽のはえ揃う」は練雲雀で夏になってしまう。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』では六月の所に、
「練雲雀 ○凡六月、毛をかへて旧をあらたむ。俗呼て練雲雀と称す。毛かふるとき、其飛こと速かならず。故に鷹を放てこれを捕ふ。これを雲雀鷹と云。」
とある。
『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の補注に引用されている『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)や『華実年浪草』(三余斎麁文、宝暦三年刊)にも練雲雀や雲雀鷹への言及がある。
夏から秋にかけてのことだから、秋とする場合もあったのか。
ひび割れた畠に鷹の餌食となる雲雀は響き付けだろうか。
季題は「練雲雀」でここでは秋。鳥類。
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