まず昨日の宿題の「茶俵」だが、『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の中村注には、「番茶などつめる俵」とある。
今日の番茶は煎茶から派生したものだが、それ以前の原始的な製法の茶も番茶と呼ばれ、庶民の間で飲まれていたと言われている。
おそらくは葉を一枚一枚摘み取るのでもなく、枝ごと摘んで束ねて干すだけの単純なものから、その地方地方で独自の工夫を凝らしたものまでいろいろあったのだろう。こうした原始的な茶の飲み方はミャンマーなどにも見られる。西洋のハーブティーの飲み方に近い。
こうしたお茶は立派な茶畑で作られる抹茶と違い、庭先などに植えられていたと考えられる。こうしたお茶なら梅雨時の晴れ間にまとめて収穫して乾燥させ、自分で俵に詰めるということは十分考えられる。
紫陽花や藪を小庭の別座敷
よき雨あひに作る茶俵 子珊
の句の解釈としては、一応それで意味は通る。
ただ、18世紀後半の、すでに煎茶の普及した頃の茶の名産地、宇治の句、
卯花や茶俵つくる宇治の里 召波
の場合はこうした番茶ではなく、煎茶の新茶を俵に詰めていたのであろう。
なお、この「茶俵」という言葉は同時期に江戸で編纂が進められていた『炭俵』を連想させる。『炭俵』の素龍の序文には「閏さつき初三の日」とあり、これより少し後になるが、選者の孤屋、野坡、利牛らとの交流があることを考えれば、それを知っててあえて「茶俵」で対抗した可能性もある。この日の連衆は『炭俵』の選者ではない人ばかりが集まっている。
それでは、第三に行ってみよう。
よき雨あひに作る茶俵
朔(ついたち)に鯛の子売の声聞て 杉風
「鯛の子」はタラコがタラの卵であるのと同じで鯛の卵をいう。春から夏にかけての鯛の産卵期に取れる。少量しか取れない珍味で、おそらくタラコ同様塩漬けにした保存の利くものを売っていたのだろう。魚問屋の杉風ならでは発想かもしれない。
中村注には「よき雨間といふこと葉のひびきより、朔日をおもいよせたり」という『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)の引用がある。月初めの目出度い日にこれまたお目出度い「鯛」を重ねることで、「よき雨あひ」が単なる天気のいい日というだけでなく吉日であることを匂わせる。
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