『嵯峨日記』の卯月二十五日のところで史邦と丈草が落柿舎にやってくる。丈草は漢詩を二首詠み、史邦は発句を披露する。それがこの句だ。
芽出しより二葉に茂る柿の實(さね) 史邦
「實」を「み」と読んでしまうと柿の実は秋になってしまう。ここでは「さね」と読む。岩波古語辞典を引くと、「果実の中心にある枝」とある。ここでは、やがて果実が実るであろう新芽の枝、くらいに考えた方がいいか。
この句の季語は「茂る」で夏。近代では「柿若葉」という夏の季語があるが、この時代にはない。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には「柿の花」という夏の季語が載っている。柿の實は柿の花になる前の花芽と見ればいいのだろう。「柿の花」は「柿の薹(とう)」ともいう。
芽吹いてきた柿の芽は対生で分厚く幅の広い葉が二枚向かい合って生えてくる。この芽吹いた二枚葉の付け根のところに蕾ができ、花が咲く。
折から柿の若葉がまぶしい季節。二枚づつ次々に出てくる葉っぱに、柿の実への期待も高まるが、なにぶん「落柿舎」なので、果して落ちずに残ってくれるか。
翌卯月二十六日、芭蕉、丈草、史邦に乙州、去来が加わり、表六句に一句足りない五句の短い俳諧興行を行う。
脇
芽出しより二葉に茂る柿の實
畠の薼(ちり)にかかる卯の花 芭蕉
(芽出しより二葉に茂る柿の實畠の薼にかかる卯の花)
複雑な倒置だが「卯の花の塵の畠にかかる」が「卯の花の畠の塵にかかる」を経て「畠の塵にかかる卯の花」になったと思われる。散った卯の花が塵となって柿の畠に白い色を添える。季題は「卯の花」で夏。
第三
畠の薼にかかる卯の花
蝸牛頼母(たのも)しげなき角振て 去来
(蝸牛頼母しげなき角振て畠の薼にかかる卯の花)
畠は普通の畠になる。蝸牛(かたつむり)の角は「角」とは言うものの柔らかく、牛の角や鬼の角とは違って何か頼りない。
「角振る」というと、
かたつぶり角振り分けよ須磨明石 芭蕉
の句も浮かんでくる。これは須磨明石を分ける鉄拐山などの山塊を蝸牛に見立てた句。
季題は「蝸牛」で夏。
四句目
蝸牛頼母しげなき角振て
人の汲間を釣瓶待也 丈草
(蝸牛頼母しげなき角振て人の汲間を釣瓶待也)
人が釣瓶を落として水を汲んでいる間、蝸牛が井戸端でその水を待っているかのようにじっとしている。
五句目
人の汲間を釣瓶待也
有明に三度飛脚の行哉(や)らん 乙州
(有明に三度飛脚の行哉らん人の汲間を釣瓶待也)
三度飛脚は江戸と大阪を月三回往復する飛脚便のことで、東海道を六日で走ったといわれる。今日のマラソン同様水分補給は欠かせなかったのだろう。有明の月の残る早朝に出発する三度飛脚は、しばし水分補給のため釣瓶で水を汲む間歩みを止めて待っている。「有明」で月の定座になる。季題はその「有明」で秋。
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