2017年6月16日金曜日

 今日は午後から夕立の雲が出てきたものの、遠く雷鳴を二三回聞いて、ぽつぽつ雨が降ったかと思ったら、それだけで特に何もなかった。山沿いのほうでは雹が降ったとニュースで言ってた。
 この季節、そろそろまた俳諧を読んでみたくなった。紫陽花の季節なので、元禄七年、芭蕉が最後の旅に出る直前の五月に詠んだ、

 紫陽花や藪を小庭の別座敷   芭蕉

の句をはじめとする興行が気にかかる。場所は深川の子珊亭の別座敷だとされている。
 子珊は前年の冬、『炭俵』にも収録されている「雪の松」の巻でなかなかの活躍をした人で、今回の「紫陽花や」の巻も自ら『別座敷』という俳書を編纂し、このあとの旅で伊賀に滞在中の芭蕉に届けたという。
 芭蕉の発句の意味は、「紫陽花は藪を小庭の別座敷にするや」で、例によって「や」を係助詞的な倒置の用法で「紫陽花や」とし、語尾の「にする」を省略したもの。
 「藪」は自然そのままに守られた「森」でもなく、人が利用するために管理された「林」でもなく、ただ雑草や低木の生い茂った場所を言う。むしろ荒れ果てた印象を与える。
 藪というと「竹やぶ」を連想する人も多いと思うが、竹に関しても人が人工的に植えたものではなく、勝手に生えるがままにしてある所という意味で「藪」という言葉が用いられるのであろう。「竹林」という言葉もあるが、これだと庭などの人工的に竹を植えた場所というニュアンスになる。
 藪はいかにも草ぼうぼう木がぼうぼうの荒れたところで殺風景なイメージがあるが、そこに紫陽花の花が咲くと急に見違えるかのように、まるでそこだけ別座敷になったかのように見える。
 小庭の藪だから、本当は春にはきれいな花が咲いてたりもしたのだろう。夏になるとそれが雑草に埋もれ殺風景になるが、そこに紫陽花が咲くと、再び立派な庭に戻る。「別座敷」はこの場合比喩で、本当に子珊亭に別座敷があったかどうかは不明。「小庭」というくらいだから、本当はそれほど広い家ではなく、狭い家が別座敷になったみたいだと洒落ただけと見た方がいいかもしれない。
 さて、これに対する子珊の脇だが、

    紫陽花や藪を小庭の別座敷
 よき雨あひに作る茶俵    子珊

 さて、これは難しい。当時は抹茶が主流だったから新茶は秋のもので、粉末だから俵には入れない。しかもお茶を一俵も消費する家とは思えない。
 ちなみに蕪村七部集の一つ、『五車反古』には、

 卯花や茶俵つくる宇治の里  召波

の発句がある。
 今日はもう遅いので、これは宿題にする。

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