今日は旧暦で閏五月の朔日。「紫陽花や」の巻の巻かれた元禄七年(一六九四)もまた閏五月があった。閏五月朔日は伊賀上野に帰り着いたばかりの頃だ。
許六・李由編の『韻塞(ゐんふたぎ)』には「閏月」という部立てがあり、
芭翁後の旅行、餞別に
五月雨も日と月のびよ閏月 石菊
の句がある。
芭蕉が旅立ったのはまだ五月十一日のこと。既に体調の悪化した芭蕉に急ぎの旅は無理なので、ゆっくり時間をかけて旅をしてくださいよという気遣いを込めている。「日と月のびよ」は「一月のびよ」と掛けている。
もう一句五月閏の句がある。
さみだれにふた月ぬるる青田哉 芳山
これは芭蕉の旅とは関係なく同じ頃詠まれたものだろう。芭蕉は閏五月になる前に伊賀に到着している。ただ大井川では川止めにあって五月十六日に島田に到着したが大井川を渡れたのは十九日だった。
さてその芭蕉の最後の旅立ちの少し前に巻かれた「紫陽花や」の巻の続き。
二十七句目
見世より奥に家はひっこむ
取分て今年は春(はる)ル盆の月 子珊
(取分て今年は春ル盆の月見世より奥に家はひっこむ)
月の定座を二句繰り上げる。
『校本芭蕉全集』第五巻の中村注は、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)の、「あらたに家を造りて飛退たる人の霊祭りする体と思ひよせたり」を引用しているが、それが何で珍しく晴れた盆の月と関係があるのか良くわからない。『俳諧鳶羽集』は『猿蓑』や『炭俵』の注でも独自の解釈が多い。
これは薮入りに結びつけた方がいいのかもしれない。奉公人が店を出てどこかの奥の家に引っ込むと、その夜は珍しく晴れて盆の月が見えるというのはどうだろうか。
季題は「盆の月」で秋。夜分、天象。「盆」が釈教ではないことは『去来抄』にもある。
二十八句目
取分て今年は春ル盆の月
まだ花もなき蕎麦の遅蒔 杉風
(取分て今年は春ル盆の月まだ花もなき蕎麦の遅蒔)
蕎麦には春蒔き用の品種と夏蒔き用の品種があり、この場合は夏蒔きの方だろう。夏蒔きは新暦の八月に蒔くから、いくら蕎麦の成長が早いからといっても、お盆の頃はまだ芽生えたばかりで花とは程遠い。春蒔きの方はこの頃花が咲く。「蕎麦の花」は秋の季語になっている。
中村注は「春ル盆の月」を旱魃のこととして、「盆頃の日でり続きから、作物の不作を思いよせた付け」としているが、それだと十五句目の「秋来ても畠の土のひびされて」とかぶる。
芭蕉はこのあと九月に伊賀で、伊勢からやってきた支考と斗従をねぎらい、
蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉
の句を詠むことになる。夏蒔きの蕎麦も山奥となればさらに遅く、旧暦九月にようやく花が咲く。食べるのはもっと後のこと。
三日月に地は朧なり蕎麦の花 芭蕉
の句はこの二年前の元禄五年秋の句。蕎麦の白い花は小さく、夕暮れともなるとかすかに白く朧に見える。マイナーイメージで朧な蕎麦の花と対比させることで、暗に月の方は秋で澄み切っていることを表している。
季題は「花もなき蕎麦(蕎麦の花)」で秋。植物、草類。
二十九句目
まだ花もなき蕎麦の遅蒔
柴栗の葉もうつすりと染なして 桃隣
(柴栗の葉もうつすりと染なしてまだ花もなき蕎麦の遅蒔)
「柴栗」は栗の原種で小粒だが味は良いという。筆者はまだ食べたことがないので「良い」と断定はしない。栗の葉も秋になると黄葉するが、蕎麦もまだ花の咲く前だから栗の葉もよく見ないとわからない程度のうっすらと色づくに留まる。
季題は「柴栗」で秋。植物、木類。
三十句目
柴栗の葉もうつすりと染なして
国から来たる人に物いふ 八桑
(柴栗の葉もうつすりと染なして国から来たる人に物いふ)
故郷よりやってきた人に、ついつい尋ねてみたくなる。「柴栗の葉もうつすりと染なしているかい?」と。
無季。「人」は人倫。
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