2017年6月26日月曜日

 さあいよいよ「紫陽花や」の巻もあと二句。名残惜しい所だ。庶民から将軍様までいろいろな人の人生の一断面を眺めながらも、言の葉の遊びには必ず終わりがある。
 連句は振るたびに模様の変わる万華鏡のような世界。

三十五句目
   日用の五器を籠に取込ム
 扈従衆(こしょうしゅう)御茶屋の花にざはめきて 桃隣
 (扈従衆御茶屋の花にざはめきて日用の五器を籠に取込ム)

 「御茶屋」はウィキペディアによると、1御殿御茶屋、2お茶屋屋敷、3御茶屋、4茶屋、5お茶屋の五つに分類されている。御殿御茶屋は将軍の外出の際の休憩所。お茶屋屋敷は慶長十年に徳川家康が上洛の際の休泊のための施設。御茶屋は街道に作られた大名のための宿泊施設で「本陣」とも言う。茶屋は一般の休息所。お茶屋は花街で芸妓を呼んで飲食する店。
 扈従衆(こしょうしゅう)を引き連れて来るのだから、将軍か大名の訪れる御茶屋で1か2ではないかと思われる。桜がたくさん植えられているなら、1である可能性が高い。今は浜離宮恩賜庭園となっている浜御殿や品川の御殿山にあった品川御殿などがある。
 将軍やそのお付の者たちが御殿御茶屋の広い庭に桜が咲いているのを見て俄にざわめきたち、今にも花見の宴になりそうなので、御茶屋の日雇い衆は急いで籠に食器を詰めて庭へと運び、宴の準備をする。

季題は「花」で春。植物、木類。「扈従衆」は人倫。

挙句
   扈従衆御茶屋の花にざはめきて
 小船を廻す池の山吹     主筆
 (扈従衆御茶屋の花にざはめきて小船を廻す池の山吹)

 挙句はこの興行の筆記係を務めていた「主筆」が詠み、一巻が締めくくられる。
 浜離宮クラスの立派な御茶屋であれば、庭に船を浮かべられる池くらいありそうだ。岸には山吹も咲いている。
 山吹といえば小判の連想も働く。粗末な藪の「別座敷」に始まり、最後は山吹の池に船まで浮かべて終わる。病身で前途洋々の旅ではないが、芭蕉の最後の旅をこうして目出度く送り出すことができた。そして江戸の人たちとはこれが永の別れとなった。
 黄金は錆びないところから永遠の命の象徴とされており、道教では黄金の骨と玉の肉体を手にいれることで不老不死を得られるとされていたということは、『笈の小文─風来の旅─』(鈴呂屋書庫にupされている)の西河のところでも書いた。池の山吹に芭蕉も永遠にというところか。

季題は「山吹」で春。植物、草類。「小船」「池」は水辺。

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