昼間は暑いけど朝は涼しいからまだいい。いろいろな所で紫陽花が咲いている。確かにこの時期は紫陽花が咲いているというだけで、そこだけ特別な感じがする。
それでは、「紫陽花や」の巻の続き。初裏に入る。
七句目
榾堀かけてけふも又来る
住憂て住持こたへぬ破れ寺 子珊
(住憂て住持こたへぬ破れ寺榾堀かけてけふも又来る)
「住持」は住職のこと。「こたへぬ」はこの場合「堪へぬ」で、昔はお坊さんがちゃんと住んでたのだが、あまりに山奥で住み辛くてついに破れ寺になってしまったようだ。ただ榾を取りに来る人だけが毎日やってくる。
無季。「住持」「寺」は釈教。
八句目
住憂て住持こたへぬ破れ寺
どうどうと鳴浜風の音 杉風
(住憂て住持こたへぬ破れ寺どうどうと鳴浜風の音)
住み憂き寺とはどういう寺かというと、海辺で浜風のどうどうと鳴るようなところにある寺だ。
こういう景を付けてさらっと流すのは杉風の得意パターンか。
無季。「浜風」は水辺。
九句目
どうどうと鳴浜風の音
若党に羽織ぬがせて仮枕 桃隣
(若党に羽織ぬがせて仮枕どうどうと鳴浜風の音)
「若党」はウィキペディアによれば、
『貞丈雑記』に「若党と云はわかき侍どもと云事也」とあるように本来は文字通り若き郎党を指したものであるが、江戸時代には武家に仕える軽輩を指すようになった。その身分は徒士侍と足軽の中間とも足軽以下とも言われた。「若党侍」とも呼ばれるが士分ではなく大小を差し羽織袴を着用して主人の身辺に付き添って雑務や警護を務めた。一季か半季の出替り奉公が多く年俸は3両1人扶持程度であったため俗に「サンピン侍」と呼ばれた。
という。
「仮枕」は旅で寝ることを言う。
前句の浜風の音を海辺の宿場のこととし、武士がお付の者に羽織を脱がせてもらって床に就く。
無季。「若党」は人倫。「羽織」は衣装。「仮枕」は旅体。
十句目
若党に羽織ぬがせて仮枕
ちいさき顔の身嗜(みだしなみ)よき 八桑
(若党に羽織ぬがせて仮枕ちいさき顔の身嗜よき)
若党の姿を付ける。
「でかい面する」なんて言葉もあるように、顔が大きいと何となく自己主張が強く脂ぎってる印象がある。本人は別にそんなつもりはないんだろうし、顔の大きさは生まれつきではあるが、今でも世間では「顔がでかい」というのはしばしば笑いを誘う。
その逆に顔が小さいとそれだけで謙虚そうに見えてしまう。本当はどうだか知らないが。
無季。
十一句目
ちいさき顔の身嗜よき
商(あきなひ)もゆるりと内の納りて 芭蕉
(商もゆるりと内の納りてちいさき顔の身嗜よき)
「ゆるり」というのは今でいう「ゆるい」に近いか。まあ、あまりがつがつ稼ごうとしなくても、のんびりゆったりと楽しながらそれでいてちゃんと成り立っていて、家内も丸く納まるなら言うことはない。働き方改革もこういうふうに行きたいものだ。
無季。
十二句目
商もゆるりと内の納りて
山のかぶさる下市の里 子珊
(商もゆるりと内の納りて山のかぶさる下市の里)
吉野の金峯山寺を降りて吉野川に出るあたりが上市で、そこからさらに吉野川に沿って西へ下ったところにあるのが下市。近鉄吉野線に下市口という駅がある。山に囲まれた小さな盆地だ。伊勢南街道の通る交通の要衝でもある。
紀伊和歌山から高野山、吉野山、伊勢神宮を結ぶこういう街道沿いなら人の流れも絶えることなく、かといって東海道ほど過密でもなく、ゆるい商売で生計が立てられそうだ。
初裏に入ってから無季の句が六句続くが、こういうのも芭蕉最晩年の軽みの風といっていいだろう。
無季。「山」は山類。「里」は居所。
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