2016年10月30日日曜日

 今日は湯山三吟の九十四句目。

   わりなしやなこその関の前わたり
 誰よぶこどり鳴きて過ぐらん   肖柏

 名残の裏ということで、ここは恋を離れる逃げ句となる。つまり「前わたり」を恋の情から切り離さなくてはならない。
 そこでさすが肖柏さん。なこその「来るな」に対して呼子鳥が「来よ」と言っているから、どっちに従えばいいのかわからず行ったり来たりしているというロジカルなネタとして展開する。
 なこその関も諸説あったが、今回の「呼子鳥」も難問だ。ネットを検索すると、カッコウのことだという説、「呼ぶ」ということに掛けた、何かを呼んでいるかのように聞こえる鳥一般を指す、特定のとりではないという説、ウグイス説、ホトトギス説、ツツドリ説、猿説などいろいろ出てくる。
 特定の鳥ではないという説は、時代が下って呼子鳥がどの鳥をあらわすのかわからなくなった頃には、実際にそういうふうに用いられていたと思われる。多分肖柏さんもそうだと思う。前句の「なこその関」もわからないし「呼子鳥」もわからないけど、中世の和歌や連歌では「な来そ」「呼ぶ」に掛けて習慣的に用いられていたに違いない。だから肖柏のこの句に関しては、それでいいのだろう。
 ただ、それでは何かすっきりしないのは確かだ。
 呼子鳥に関しては曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草(上)』(2000、岩波文庫)には、

 「此鳥のこと、古今集三鳥の一などいひて、諸書に説々あり。或は猿の事といひ、或は山鳥也といひ、又は山鶫つぐみ、又は鶯、郭公、などさまざまの鳥にあてていへど、みなたしかならず。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)

とあり、『年浪草』の説として、ツツドリを挙げている。ツツドリはカッコウやホトトギスの仲間でカッコウよりは小さいが、同じく夏鳥で托卵する。全身灰色の鳥で、筒を叩いたような「ココッ、ココッ」という声で鳴く。ツツドリの声はyoutubeでも聞ける。今日見たのでは「フォ フォー」という字幕が出てたが、「ポ」とも「コ」とも聞こえる声なので、これが一番それらしい。
 『増補 俳諧歳時記栞草(上)』はまた、賀茂真淵の説も紹介している。

 「真淵翁曰、よぶこ鳥は春の暮より夏にかけて啼鳥也。此声は、人を呼がごとくきこゆるによりて呼子鳥と云。鳩に似て羽も背も灰色ににて、腹はすずみ鷹のごとく、足は鳩より少し高し。また曰、かほ鳥と云いふもこの鳥也。今俗のかんこ鳥と云もの也。喚子鳥の字音よりとなへ誤れる也。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、2000、岩波文庫p.109)

 カッコウ説はこれが元になっているのだろう。
 がだ、カッコウは閑古鳥と呼ばれ、江戸時代でも夏の季題として定着しているのに対し、呼子鳥は春の季題だ。季節はずれのカッコウという説はやや無理がある。ツツドリならカッコウともホトトギスとも別だから、独立して春の季題としてもおかしくない。ツツドリはホトトギスやカッコウの陰に隠れて忘れられた鳥になっていたのではないかと思う。

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