今日は十七夜で昼間の雨も夕方にはあがり、うす雲ごしに月が見える。
それとは関係なく、今日も越人撰の『鵲尾冠(しゃくびかん)』から、
ゆくあきは五郎丸なき五郎哉 飛泉
作者の飛泉についてはよくわからないが、この集の中にかなり頻繁に登場する名前で、越人門の主要人物と思われる。
「飛泉」を検索すると近代の歌人真下飛泉ばかりでてきてしまう。「五郎丸」に至っては去年話題になったあのラグビー選手のことばかりずらっと並んで、なかなかそれ以外の五郎丸の情報が出てこないのは困ったものだ。
ただ、どうやら「五郎丸」は曽我物語の御所五郎丸ではないかというところに辿り着いた。曽我物語の主人公は曽我十郎と曽我五郎で、五郎丸なき五郎というのは曽我五郎と御所五郎丸に関係がありそうだ。
曽我物語というと、『去来抄』にある、
兄弟のかほ見るやミや時鳥 去来
の句がある。これは「去来曰、是句ハ五月廿八日夜、曾我兄弟の互に貌見合せける比、時鳥などもうちなきかんかしと」作った句で、芭蕉や其角からは「謂ひおほせず」と評された。
飛泉のこの句も「謂ひおほせず」という感じがする。兄弟力を合わせてついに父の仇、工藤祐経を富士野の巻狩りの夜に討ったあと、兄の十郎は討ち死にし、弟の五郎も女装した五郎丸の取り押さえられた。
曽我物語は遊行巫女(ゆぎょうみこ)によって口承され、様々な女性芸能者によって完成されていったとあって、兄弟二人の固い絆は今でも腐女子の想像を誘いそうだし、そこに女装の五郎丸の登場で花を添えている。
仇討ちは夏に行われたから「ゆくあき」という季語との関係がよくわからないが、五郎丸の出ない曽我物語は行き秋のように淋しいということか。
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