私事になるが、二年前の春に父母を相次いで亡くし、直後の忙しさとその後に来た倦怠感や昔で言う「無常観」のようなものから、と要するに今の言葉では単なる「欝」なわけだが、それまで読んでいた源氏物語は明石の途中で終わったままになり、他にも書きかけになっていた文章がたくさんあって、未だに放ったらかしになっている。
この「鈴呂屋俳話」を始めたのも、少しづつ昔のペースに戻そうと思ったからで、ただ、いろいろやりかけのことがあって、何から手を付けていいかわからない。
昨日は昔書いた「浦上玉堂の山水画を読む」を「鈴呂屋書庫」http://suzuroyasyoko.jimdo.com/ にアップした。11月10日から千葉市美術館で「文人として生きる−浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術」展が始まると聞いて、そういえばこういうのも書いていたと思い出した。
そのあと今日、「文和千句第一百韻の世界」をアップした。連歌関係では「湯山三吟」が84句目で止まってしまっている。
その85句目は、
古人めきてうちぞしはぶく
よもぎふやとふをたよりにかこつらん 肖柏
で、三つの古註が残っている。
古註1蓬生の巻に、侍従のおば君、惟光を見付て、かこち出いでたる事なるべし。
古註2よもぎふノやどへ源氏御出ありしとき、侍従げんじニとりつきたてまつりて、うらみ
を云へル事あり。
古註3源氏よもぎふの巻の体也。古人のうちしはぶく事、この巻にみへたり。(『連歌俳諧
集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
共通して『源氏物語』の蓬生巻の本説であることを指摘している。
明石の次が澪標でその次が蓬生だから、本来ならとっくに読んでいたはずの箇所だ。
取りあえずネットで既存の訳を読んで大雑把なあらすじを把握しなければならないが、これから読むところがネタバレになってしまうのは残念だ。
大体ここの場面だろうというところが見つかった。源氏が末摘花の君の荒れ果てた家を訪ねたとき、惟光に様子を見てもらおうとしたとき、
よりてこわづくれば、いと物古りたる声にて、まづしはぶきを先に立てて、彼は誰れぞ、なに人ぞととふ。
とある。
前句の「古人めきてうちぞしはぶく」をこの人物に取り成したということはわかった。この人物は「侍従が叔母の少将といひ侍りし老い人」だということがわかる。古註1の通りだとわかる。
問題はこの人物が以前に出てきてたかどうかだが、自分で訳した末摘花巻を読み返したがよくわからない。
とりあえず「よもぎふやとふをたよりにかこつらん」の句は、「よもぎふをとふをたよりにかこつらんや」の倒置で、蓬生を訪れて来たのを何かの縁とばかりについつい愚痴ってしまったか、すっかり年寄りくさくなって咳払いをしてしまう、という意味になる。
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