2016年10月27日木曜日

 湯山三吟の91句目。

   尾上の松も心みせけり
 たのめ猶ちぎりし人を草の庵   肖柏

 さすがに肖柏さん、恋を振られてもさらっと付けてくれる。
 これも複雑な倒置。「たのめ猶ちぎりし人を草の庵」は「草の庵にちぎりし人を猶たのめ」で、「草の庵にちぎりし人を猶たのめ尾上の松も心みせけり」となる。松は「待つ」との掛詞になる。
 「ちぎる」は約束するという意味もあるが、遠まわしにあの行為の意味でも用いられる。
 「草の庵」だとか「草庵」だとかいうと、何となく隠棲しているお坊さんが浮かんできてしまって、ひょっとしてそっちの道?と思ってしまうが、「草庵」のそういうイメージは多分江戸時代になってからのもので、中世では普通に貧しい掘っ立て小屋のイメージだったのだろう。 そんなところで愛し合って、いつまでも待ち続けているというと、ちょっと万葉時代の恋のようで、王族が気まぐれでやっちゃった村の娘が、いつまでも待ち続けていたことを後で知って感動するなんて物語があったような。
 そして、92句目、名残の表の最後の句。

    たのめ猶ちぎりし人を草の庵
  うときは何かゆかしげもある   宗長

 前句を「たのめ猶ちぎりし人を」で切って「草の庵」に住んで人を避けているような私に何の魅力もないでしょう、と付ける。ここでは隠遁者のイメージになる。

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