俳諧は俗語の連歌であり、ならば連歌はというと、 二条良基の『連理秘抄』にはこうある。
「連歌は歌の雑体也、昔は百韻五十韻などとてつらぬる事はなくて、只上の句にても下の句にても言懸けつれば、今なからを付けける也」
また、同じく二条良基の『知連集』にはこうある。
「連歌は歌をもって文として、和歌の便をわきまえて後、言葉を分て連歌に取なす也」
宗砌の『初心求詠集』にはこうある。
「夫謌道は、花になく鶯、水にすむ蛙にいたるまでもその器と申侍れば、人(倫)の心あらむ如何でか是を翫事なからむ哉、殊連歌は三十文字あまりの言の葉を上下に分けて、是に深き心あり」
宗祇の『長六文』にはこうある。
「抑連歌と申事は只歌より出来事候、又貫之が詞に人の心を種としてよろづの言葉とぞなれりけると侍れば、連歌も心の外を尋べき事にも侍らず、然共歌と連歌との替目少侍るべきにや、歌には五句を云くだして終に其理を述べ、連歌には上句と云へ下句といひ別々に取分侍れば、分々に其理なくては不叶事也、連歌は昔は只続句などの如く前句に云かけて、一句の理をばさらに届ざる事侍」
宗長の『連謌比况集』にはこうある。
「夫連歌は歌より出て其感情歌より深し、猶し氷の水より出て水より寒に異ならず、これによりて君も臣も心を一にして是を翫ひ、賢なるも愚なるも姿を同くして是を学ぶ」
紹巴の『至寶抄』にはこうある。
「然に連歌は哥一首を二に分て百韻となし申候、乍去哥と連歌と少替申候、哥は上の句に其意聞え候はねども、下の句にて断り、(又下の句の心を上の句にて理り)申候事多し、連歌は一句一句に其断りなくては叶はざる事候」
ここからはっきりしているのは、連歌は和歌の上句と下句を分けたものだということだ。
宗祇の『長六文』では、57577の五句を言い下してその理があるが、連歌では上句・下句それぞれに理が必要だとし、紹巴の『至寶抄』もそれを受け継いでいる。
これはたとえば、和歌では、
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかもねむ 伝柿本人麻呂
のように、上575は単なる序詞として、下句を言いだすための特に意味のない言葉でも良いという場合がある。
これに対して、連歌では上句もちゃんと意味を持ってなくてはならないということをいう。
連歌は本来和歌の一つの体、つまり和歌の一首として捉えられていて、基本的には57577、上句下句合わせて一首の和歌を仕上げるゲームだった。
なら、それはどういうゲームかというと、伊地知鐵男は尻取り遊びに例えている。
「わが国に古くから「尻取り」「後取り」という遊びがある。
イヌ(犬)─ヌエ(鵺)─エビ(蝦)─ヒグマ(羆)─マス(鱒)─スズメ(雀)─メジロ(目白)
と、詞の末尾の音と次詞の頭首の音とが同音でつづくように、詞、体言を連ねていく文字つなぎの遊戯である。おなじように室町期15世紀半ばごろ、専ら文字鎖という文学的な遊びが流行した。たとえば御陽成院御製と伝える『いろは文字鎖』は「色よき柘榴─轆轤ひく縄─花咲ける谷─庭の朝顔─仏の教へ─下手の射る的‥‥」のように尾音と頭音と同音でつなぎ、しかも連続する頭音はいろはで統一されている。」(『連歌の世界』伊地知鐵男、1967、吉川弘文館p.1)
むしろ子供の頃に唄ったあのわらべ歌に似ているかもしれない。
「金平糖は甘い、甘いは砂糖、砂糖は白い、白いはウサギ、ウサギは跳ねる、跳ねるはカエル、カエルは青い、青いは葉っぱ、葉っぱは揺れる、揺れるは地震、地震は恐い、恐いはお化け、お化けは消える、消えるは電気、電気は光る、光るは親父のはげ頭。」
というやつだ。
こんがりと金平糖が焼きあがり
その甘いことその甘いこと
お砂糖が壺一杯に入ってて
まばゆいばかりの真っ白白な
現われた因幡の国のウサギ殿
ぴょんと一跳ね人驚かす
とでもすれば、連歌っぽくなる。
これを確か昔の漫才のネタかなんかで、「金平糖は甘い、甘いは金平糖、金平糖は甘い」、と延々と反復してボケるのがあったが、連歌もこれと同じで前の句の発想に戻ったら永遠に堂々巡りしてしまう。それゆえ前の句とまったく違った発想で展開させなくてはならない。
この種の言葉遊びは他の国にもあるのかもしれない。ただ、多くの文化では単なる子供の遊びというところで終っているのだと思う。こうした言葉遊びを大人が真剣にやるあたりが、日本の文化の特徴なのかもしれない。
日本人はよく、車を発明しながらも明治になるまで戦車を作るという発想がなく、その代りに精密なからくり人形を作ったと言われている。
和を尊び平和を愛する日本人は、言葉遊びを大人の娯楽に高め、文学にまで高めた。
それが明治以降は軍国主義教育の影響で、大の大人が遊ぶなんて怪しからんなんてことになり、文学からも笑いの要素が排除され糞真面目なものじゃないといけないみたいになってしまった。
そこから連歌はいわゆる近代文学から締め出される形となった。
そして、それ以降の「連句」の復興の動きは、基本的には上句と下句を合わせて一首の和歌を完成させるというゲーム性を排除する形で行なわれ、今に至っている。
「子規はこのとき連句を、隣り合った二句の上の句や下の句を共有して読むものだと思っていたようだ。これには驚かされた。こういう解釈では連句は知的ゲーム以外のなにものでもないだろう。」(『連句のたのしみ』高橋順子、1997、新潮選書p.60)
今日のいわゆる「連句」は「知的ゲーム」ではあってはいけないらしい。それは伝統的な連歌や俳諧とはまったく別のものと言ったほうがいい。連歌や俳諧は是非ともマンガやお笑いの好きな人に読んでもらいたい。
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