2016年10月13日木曜日

 今日は十三夜だが空は曇っている。
 桃隣撰『陸奥鵆』には「芭蕉庵十三夜の記」という貞享五年九月十三夜、芭蕉庵で月見した時の句に、素堂が前書きし、芭蕉が後書きをした一連の句が掲載されている。

   十三夜
 芭蕉の庵に、月をもてあそびてただ月をいふ。越の人あり、つくしの僧有、まことに浮艸のうきくさにあへるがごとし、あるじも浮雲流水の身として、石山の蛍にさまよひ、さらしなの月に嘯て菴に帰る。いまだいくかもあらず、菊に月にもよはさて、吟身いそがしいかな。花月も此為に暇あらじ。おもふに今宵を賞すること、みつればあふるる悔あればなり。中華の詩人、わすれたるに似たり。ましてくだら・しらぎにもしらず、我国の風月にとめるなるべし。
 もろこしに不二あらばけふの月見せよ  素堂
 かけふた夜たらぬほどてる月見哉    杉風
 後の月たとへば宇治の巻ならん     越人
 後の月名にも我名は似ざりけり     路通
 我が身には木魚に似たる月見哉     宗波
 木曽の痩もまだなをらぬに後の月    芭蕉
 中秋の月はさらしなの里、姨捨山になぐさめかねて、なおあはれさのめにもはなれずながら、長月十三夜になりぬ。こよひは宇多のみかどのはじめて、みことのりをなし世に名月と見はやし、後の月あるは二夜の月など云める。これ才士・文人の風雅なくはふるなるべし。問人のもてあそぶべきものといひ、且は山野のたび寝もわすれがたうて、人々をまねき瓢を扣(たたき)、峯のささぐりを白鴉と誇る。隣の家の素翁、丈山老人の一輪いまだみたず二分虧(かく)といふ唐哥は、この夜折にふれたりと、たづさへ来れるを壁のうへにかかげて、草の菴のもてなしとす。狂客何某しらら・吹上とかたり出ければ、月も一期は栄えある屋うにて、なかなかゆかしきあそびなりけらし。

 芭蕉が姨捨山の月を見に行った『更科紀行』の後、江戸に戻ったときの十三夜のお月見だった。まず、素堂の序文。これはこの日に書かれたのではなく、後から加えられたものらしい。書簡と思われるものが残っている。

 「芭蕉の庵に、月をもてあそびてただ月をいふ。越の人あり、つくしの僧有、まことに浮艸のうきくさにあへるがごとし、あるじも浮雲流水の身として、石山の蛍にさまよひ、さらしなの月に嘯て菴に帰る。いまだいくかもあらず、菊に月にもよほされて、吟身いそがしいかな。花月も此為に暇あらじ。おもふに今宵を賞すること、みつればあふるる悔あればなり。中華の詩人、わすれたるに似たり。ましてくだら・しらぎにもしらず、我国の風月にとめるなるべし。」

 素堂は芭蕉が江戸に出てきた頃からの古い門人で、代表作は「目には青葉山ほととぎす初鰹」。季語を三つも使った贅沢な句だ。
 「越の人あり」は越智越人。『更科紀行』の旅に同行し、その流れで江戸までついて来たのであろう。
 「つくしの僧」は宗波のことか。一年前の貞享四年八月に曾良とともに芭蕉の『鹿島詣』の旅に同行している。路通も僧なので路通の方を指すのかもしれない。
 「まことに浮艸のうきくさにあへるがごとし」は同語反復になっているが、浮き草が同じ仲間の浮き草に合う、類は友を呼ぶという意味か。
 「あるじ」は芭蕉庵の主、芭蕉庵桃青のこと。
 「石山の蛍にさまよひ」は、

   木曽路の旅を思ひ立ちて大津にとどまるころ、まづ瀬田の蛍を見に出でて
 この蛍田毎(たごと)の月にくらべみん  芭蕉

の句のことか。
 「さらしなの月に嘯て」は言わずと知れた『更科紀行』の、

   姨捨山
 俤(おもかげ)や姨ひとりなく月の友   芭蕉

を指す。
 「菊に月にもよほされて」の菊は、九月十日に素堂亭で「残菊の宴」を催したことを言う。「月」は今回のことか。
 「花月も此為に暇あらじ」は元は「花月もこの人の為に晦あらじ」という発句だったらしい。編纂の段階でカットされたか。
 「中華の詩人、わすれたるに似たり。ましてくだら・しらぎにもしらず」は十三夜のお月見が日本独自のものであることを言っているのだろう。くだら・しらぎはいつの時代かという感じだが、この時代のあの地域は、朝鮮と言っても李氏朝鮮と言っても李朝と言っても差別になるらしいので、一体何と呼んでいいものか。

 もろこしに不二あらばけふの月見せよ  素堂

 中国に富士山があったなら十三夜の月見をするべきだ。
 まあ、中国には泰山や廬山をはじめとするあまたの名山はあっても富士山はないから、十三夜の月見を強制はしない。

 不二晴よ山口素堂のちの月   白雄

の句はこれより百年くらい後のこと。

 かけふた夜たらぬほどてる月見哉    杉風

 これは芭蕉七部集の『阿羅野』にも収められている句。「かけ」は「影」で、影は光という意味。十五夜にふた夜まだ光が足りないはずなのに、それ以上に明るく見えるのは空が澄み切っているせいなのだろう。

 後の月たとへば宇治の巻ならん     越人

 十五夜が『源氏物語』の本編なら、十三夜は続編の「宇治十帖」だろうか。

 後の月名にも我名は似ざりけり     路通

 「後の月」という名前だけど、元の月の十五夜とはまったく似ていない独自の月だ、という意味か。「後の月、名月にも我名月は似ざりけり」とすればわかりやすい。

 我が身には木魚に似たる月見哉     宗波

 僧である我が身には十三夜の不完全な丸い形が木魚に見える。

 木曽の痩もまだなをらぬに後の月    芭蕉

 木曽へ名月の旅をして痩せてしまったのがまだ治ってないうちにもう十三夜か、忙しいなあ。
 このあとの芭蕉の文章は有名だし、ネットでもいろいろな人が解説しているのでひとまず置いておく。

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