2018年11月5日月曜日

 体というのは、基本的には後から振り返って分類しているだけで、実際の創作の際は一々意識しているわけではない。
 写生説にしても、客観写生を説いた高浜虚子の句がすべて客観写生なわけではない。

 過ぎて行く日を惜みつつ春を待つ  虚子
 山辺赤人が好き人丸忌       同
 藤袴吾亦紅など名にめでて     同
 小春ともいひ又春の如しとも    同
 顧みる七十年の夏木立       同
 過ちは過ちとして爽やかに     同
 ここに来てまみえし思ひ翁の忌   同
 初時雨しかと心にとめにけり    同

など、様々な体の句を詠んでいる。

 去年今年貫く棒の如きもの     虚子

などは虚子の代表作ともいえる。
 句を詠むときに大事なのは、何かを表現したいという初期衝動で、理論や技法はそれを助けるものにすぎない。理論や技法だけが一人歩きしてしまうと、力のない、何を言っているのかわからない句になる。
 芭蕉も、貞門談林の技法に習熟し、蕉風の独自の技法を開発して、不易流行や虚実の論も自ら生み出してきた。それでも晩年になって初期衝動の大切さは見失ってなかった。惟然や風国に教えたのもそういうことだろう。
 田氏捨女の自撰句集には、貞門の技法に習熟した円熟した作品に彩られているが、結局世間に知られているのは、捨女自身の作かどうかも定かでない、

 雪の朝二の字二の字の下駄の跡  捨女

だった。
 この句には貞門の高度な技法はどこにもないが、初期衝動なら確かにある。「俳諧は三尺の童にさせよ」というのもそういう意味だったのであろう。
 不易と流行は「体」であるというのは、同時にそれは体にすぎないという意味でもある。
 創作の時にはそれに囚われるべきではないし、むしろそうした既存の枠組みをブレイクスルーしたところに本当の新味が生まれる。
 許六が去来に不易と流行に迷っていると言ったのは、体というのはあくまでも便宜的な分類すぎず、後から説明するための理論だということを言いたかったのだろう。
 芭蕉が不易流行を説く前にもいくらでも秀逸があった。芭蕉にも古池の句があるし、さらには連歌や和歌にもたくさんの秀逸が残されている。

 「一、第十六章問答ノ返書ニ云ク、予が不易・流行なき以前の論を嘲て、俳諧和歌の一体たる事を示せり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.77)

 去来は俳諧が和歌の一体にすぎなかったことを示し、こうしたものが神代にあったとしても、句があれば風があり、句がないなら風もない。
 不易も流行も風である。
 故に句があれば不易も流行もあり、句がないなら不易も流行もない。不易流行以前の句なるものは存在しない、という奇妙な論理を展開した。

 「幷ニそと織姫の風をしたひて、小町ハ歌をよめり。西行ハ古ニよめりと、後鳥羽院ののたま侍りし事も、是明也。
 其そとおり姫ハ誰が風をよめるぞ。又師ハたれが風と押シて尋る時ハ、神代の風に成ぬ。
 歌の文字も定まらざる時、歌十体、又ハ不易・流行、又ほそミ・しほりなどいへる事なけれ共、忝も皆名歌となれり。
 歌幷俳諧少もかはる事なし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.77)

 たとえば子規が写生説を唱える以前に写生はなかったかというとそうではない。ただ写生があったということと写生説があったということはまったく別だ。
 実際近代の俳人や歌人も同じ過ちを犯して、芭蕉の句に写生的なものがあるから、芭蕉が写生説を説いたと考えている。万葉集に関しても同じで、万葉の時代に写生説があったかのように論じている。
 同じようなことは様々な場面で起こっている。マルクスが共産主義を説く前にも、共産主義的なものはあった。だが、共産主義的なものがあるのと共産主義があるのとは同じでない。しかし、この混同から文明以前に「原始共産制」が仮定されている。
 不易流行の考え方も朱子学の影響によるものだが、それ以前に遡れば『易経』の雷風恒にまで遡れる。しかしそれは芭蕉の不易流行説ではない。だがもちろん不易流行的な発想は古代からあった。
 去来が句があるなら不易も流行もあると考えるのは、こうした発想によるものだ。芭蕉は不易流行を説いたが、後から見るなら昔にも不易の歌はあるし流行の歌もあったとおもわれる。
 許六が言うのは、あくまで芭蕉が不易流行を説く前、不易流行が明確に意識される前にも秀逸があったということで、古代の文字も定まらぬ頃の歌に不易や流行が見出されるかではない。
 理論というのは後から振り返って説明するもので、それは確かに過去に遡って説明することも可能だ。だが創作は過去に遡ることはできない。創作は理論よりも先にあった。
 この誤りはひとえにあたかも今日の我々の理論は完璧であり、古今東西のすべてのものを説明できると信じる思い上りから来る。
 不易流行は一つの説にすぎず、これがあれば悉く名句が生まれるというようなものではない。理論は所詮理論にすぎず、自ずと限界があり、時には初期衝動によって簡単に打ち破られる。
 同様、写生説も一つの説にすぎない。共産主義も一つの説にすぎない。人権思想だってそうだ。科学だっていまだ統一理論が存在しない以上、この世のすべてのものを説明することはできない。
 人間の理論は限界があり、人間の創作は必ずそれを越える。故にそれを「神」と呼ぶ。

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