2018年11月18日日曜日

 今日は映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見た。映画が終ってスタッフロールになったとき、何だかわからないが涙がぼろぼろこぼれてきた。何か映画で泣くのは久しぶりだった。
 クイーンがブレイクした頃の74年、75年ごろは日本ではオレンジ・ペコ、ドゥティードール、ハリマオといったアイドルっぽいバンドが出てきた頃で、何となくクイーンはそれに重なってしまう。
 75年にクイーンが来日した時の熱狂はそういう下地があってのことだったのだろう。ブライアン・メイは後になって「僕たちは突然ビートルズになった」と言ったとか。
 曲のほうのボヘミアン・ラプソディはシリアスに始まるが、途中からのあの合唱部分に入って「ガリレオ」だとか意味のない言葉を入れるあたりが俳諧を感じさせる。どうしようもない暗い歌でありながらそれを笑いに転じて救いを持たせているように思える。
 ハリマオの「ジョニーは戦場へいった」もあの頃の日本では画期的だったが、やはりクイーンは格が違っていた。

 それでは「野は雪に」の巻の続き。
 四句目。

   飼狗のごとく手馴し年を経て
 兀たはりこも捨ぬわらはべ    一笑

 兀は「はげ」。犬張子はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」には、

 「犬の形姿を模した紙製の置物。古くは御伽犬(おとぎいぬ),宿直犬(とのいいぬ),犬筥(いぬばこ)ともいった。室町時代以降,公家や武家の間では,出産にあたって産室に御伽犬または犬筥といって筥形の張子の犬を置いて,出産の守りとする風があった。はじめは筥形で中に守札などを入れ,顔も小児に似せたものであった。庶民の間には江戸時代後期に普及したらしく,嫁入道具の一つに加えられ,雛壇にも飾られた。犬張子を産の守りとする風は,犬が多産でお産が軽い動物と信じられ,かつ邪霊や魔をはらう呪力があると信じられたからであろう。」

という。この頃の犬張子は今のものとはやや違うようだ。
 「犬筥」で検索すると今のものや江戸時代後期のものは出てくるが、あまり古いものは残ってないようだ。本来は役目を終えたら神社に奉納するものだったのか。
 ただ子供の遊び道具になってしまったものもあって、古くなるとあちこと禿げてきて、それでも子供心になかなか手放せない。
 犬張子はまだ庶民のものではなく上流の習慣だったことで、「俗」ではなく「雅」とされていて、貞門の俳諧にふさわしい題材だったと思われる。
 五句目。

   兀たはりこも捨ぬわらはべ
 けうあるともてはやしけり雛迄  一以

 前句の張子は犬張子から切り離して只の張子とし、「わらはべ」から「雛(ひひな)」へと展開する。三月三日のひな祭り、春の句となる。
 当時は上流階級では寛永雛という小さな小袖姿の雛人形があったが、庶民の間に紙製の立ち人形が広まるのはもう少し後で、元禄二年に、

 草の戸も住替る代ぞひなの家   芭蕉

の句があるように、この頃でもそれこそ「時代が変わったな」と感じるほど画期的だったのではないかと思われる。
 古くなった張子は、あるいは流し雛のときに一緒に流したのかもしれない。
 六句目。

   けうあるともてはやしけり雛迄
 月のくれまで汲むももの酒    宗房

 ここでようやく芭蕉の登場となる。次が執筆だから末席といっていいだろう。
 「桃の酒」は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』に、

 「[蘇頌図経]太清本草本方に云、酒に桃花を漬してこれを飲は、百病を除き、顔色を益す。[千金方]三月三日、桃花一斗一升をとり、井花水三升、麹六升、これを以て好く炊て酒に漬し、これを飲めば太(はなはだ)よろし。○御酒古草、御酒に入るる桃也。」

とある。
 晴の舞台に引き出された当時数え二十二歳の芭蕉さん。かなり緊張もあったのだろう。春の句になったところでためらわずに定座を引き上げて月を出すところは堂々としている。ただ、「まで」を重ねてしまったところは若さか。
 七句目。

   月のくれまで汲むももの酒
 長閑なる仙の遊にしくはあらじ  執筆

 桃の酒は不老不死の仙薬ということで仙人を登場させる。「しく」は及ぶということ。仙人の遊びに及ぶものはない。
 八句目。

   長閑なる仙の遊にしくはあらじ
 景よき方にのぶる絵むしろ     蝉吟

 さて一巡して蝉吟に戻ってくる。
 「しく」に「絵むしろ」は連歌でいう「かけてには」になる。こういう古風な付け方も貞門ならではだろう。

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