2018年11月6日火曜日

 今日は午前中は小雨で、午後から本降りになった。
 久しぶりにまとまった雨になった。

 『俳諧問答』続きに行く前に、ほんのちょっとこやん曰、
 人間の行動というのは、長い進化の過程で獲得した様々な欲望、感情、衝動によるもので、これらは皆その場その場で偶発的に起きた突然変異の集積で、別に統一されたものではない。ただ、どれも結局子孫を残すということに偶然役立ったために生き残っているにすぎない。
 誰だってそのときの気分で同じ物事でも感じ方が違ったり、昨日は大いに楽しんだことでも今日には飽きていたり、考え方もその時々でバラバラで平気で矛盾したようなことをするし、まあ結局それが人間というものだ。いくら理性で律するといっても、完全な人間なんてどこにもいない。
 だから理想の美だの理想の芸術だの言っても、どこにも答があるわけではない。ただ初期衝動に突き動かされ、言葉を発し、それをメロディーをつけて歌ってみたり、振り付けをして踊ってみたりして、多くの人が面白いと思えばそれは秀逸だ。絵や造形でも同じだ。
 過去のいろんな秀逸な作品を整理し、そこに理論を立てることはできる。理論が先にできて、そこから秀逸な作品が生まれることはまずない。
 それは結局政治においても同じなのだと思う。
 一人一人がその場その場で、どうすれば他人と無駄に争うことなく幸福な生活が確保できるかいろいろ工夫する。こうしたことの積み重ねが社会秩序を形作っている。
 自分の欲望と他人の欲望が真っ向からぶつかり合い喧嘩になれば、いつでも勝てるという保証はない。特に人間は頭がいいから、いくら腕っ節が強い者でも、飛び道具を用いたり騙まし討ちにしたり、大勢でかかったりすれば簡単に倒せることを知っている。体力のある物が勝つとは限らないし、頭のいいものが勝つとは限らない。誰でも勝つチャンスはある。その意味では人間は平等だ。
 だから人間はいつでも負ける可能性を頭に入れておかなくてはならない。ならば喧嘩は極力避けたほうが良いということになる。
 政治というのは結局はいろいろ妥協しながらも、みんなが安心して自分の欲望を満たせるよう工夫する、一人一人のその積み重ねからできている。これは政治の初期衝動とでも言えよう。
 こうした積み重ねによってできた様々な習慣、法、制度をあとから理論としてまとめることはできる。それが思想だ。理論が先にあって、そこから習慣や法や制度が作られるのではない。人々の実生活から来る政治の初期衝動を無視して理論だけが一人歩きすれば、かならずディストピアに陥る。
 理想の芸術を作るにも、理想の社会を作るにも、人間は答を知らない。だからあれこれ試行錯誤して良い物を残し悪い物を捨てて、自然選択と同じようなことを人為的に繰り返してゆくしかない。その繰り返しと蓄積が人類の唯一の進歩を生み出す。
 科学も無数の仮説を立てて検証されたものだけを残してゆくことで、限りなく真理の近似値を得る事ができる。芸術でも政治でも同じことをするしかない。
 今アメリカでは中間選挙が行われているが、選挙がなぜ必要かというと、政治的対立は「論駁」で解決することはできないからだ。どんな主張にも必ず反対の主張を立てることができるということは、古代ギリシャの人たちが既に知っていたことだった。だから人を裁くのには裁判を行い、物事を決めるのには採決を取ることにした。
 政治を決定するのは一部の思想家ではない。国民一人一人の政治への初期衝動が何よりも重要だ。

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