何かこの頃仕事が変り、疲れたところで書いていたから、いつの間にか二と三を書き間違えていた。とりあえず訂正した。
それでは四十三ではなく三十三句目から、「野は雪に」の巻の続き。
三十三句目。
未だ夜深きにひとり旅人
よろつかぬほどにささおものましませ 蝉吟
十八句目の小唄調に続いて、ここでも芝居か何かの台詞のような口語っぽい文体で作っている。全部平仮名だとわかりにくいが「よろつかぬ程に酒(ささ)をも飲ましませ」。
前句の「ひとり旅人」を旅立つ夫として、妻が草鞋酒を汲んで見送るというところか。
「草鞋酒」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、「旅立ちの際に、わらじをはいたまま飲む酒。別れに際しての酒盛り。」とある。
三十四句目。
よろつかぬほどにささおものましませ
市につづくは細ひかけはし 一笑
打越の旅体を離れ、ただ市場から来た人に酒をふるまったとする。
三十五句目。
市につづくは細ひかけはし
堀際へ後陣の勢はおしよせて 一以
これは大名行列の先陣・後陣だろうか。大きな町にはいくつもの堀がめぐらされてたりするが、そこから市場へとかかる橋が細いので、後陣の列はなかなか入れなくて立ち往生する。
三十六句目。
堀際へ後陣の勢はおしよせて
息きれたるを乗替の馬 蝉吟
江戸時代の馬は宿場から隣の宿場までを往復するもので、宿場に着くたびに馬を乗り換えなくてはならなかった。後陣の勢も息を切らしてたどり着いたところで次の馬に乗換えとなる。
二裏に入る。
三十七句目。
息きれたるを乗替の馬
早使ありと呼はる宿々に 正好
馬を乗り換える旅人を早使いとした。いまひとつ展開に乏しく、宿場の風景から脱却できない。
三十八句目。
早使ありと呼はる宿々に
とけぬやうにと氷ささぐる 宗房
ウィキペディアによれば、「江戸時代には、毎年6月1日(旧暦)に合わせて加賀藩から将軍家へ氷室の氷を献上する慣わしがあった。」という。
前句の「早使」を氷を献上する使者とする。
三十九句目。
とけぬやうにと氷ささぐる
あけて今朝あさ日ほのぼのほのめきて 一笑
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、「前句の『氷ささぐる』を氷様(ヒノタメシ)に見なす。」とある。
コトバンクの「氷様奏(ひのためしのそう)」の所の「世界大百科事典内の氷様奏の言及」によれば、
「…律令制下では政府管掌の氷室が置かれ,その氷は宮廷内での飲用と冷蔵用にあてられた。また,毎年正月元日には〈氷様奏(ひのためしのそう)〉といって,その冬収納した氷の厚薄を奏聞する儀式が行われていた。清少納言が《枕草子》の中で,〈削り氷にあまづら(甘葛)入れて,あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる〉と,いまでいえば砂糖のシロップをかけただけの“みぞれ”などと呼ぶかき氷に近いものを,高貴で優美なものとして〈あてなるもの〉の一つに数えているのも,氷がきわめて貴重なものだったことを物語る。…」
だという。
四十句目。
あけて今朝あさ日ほのぼのほのめきて
大ぶくの爐にくぶる薫 正好
「大ぶく」はおおぶくちゃ(大服茶・大福茶)のこと。コトバンクの「大辞林 第三版の解説」には、
「元日に若水でたてた煎茶。小梅・昆布・黒豆・山椒さんしようなどを入れて飲む。一年中の悪気を払うという。福茶。 [季] 新年。」
とある。
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