2018年11月11日日曜日

 今日は箱根山に登った。
 といっても新宿区にある戸山公園の箱根山、標高44メートルだが。
 西早稲田から神楽坂を散歩した。以前古代東海道、東への旅で通ったことのあるあたりだ。神楽坂は賑やかで、いろいろなイベントをやっていた。TVドラマのロケ地としても盛り上がっているようだ。
 では本題に。

 不易流行の遠い起源は、おそらく『易経』の雷風恒だろう。

 「恒、亨。无咎。利貞。利有攸往。」

とあり、「亨(とおる)。咎(とが)なし。貞(ただ)しきの利(よろ)し。往くところあるに利(よろ)し。」というふうに吉祥とされる。
 ただ、上が雷で下が風というと、積乱雲が発生して雷がぴかぴかごろごろ落ちてきて、強い上昇気流が竜巻となって登ってゆく、かなり荒れ狂う状況が想定される。それでいて吉祥なのは、上にある物が降りてきて下にある物が登ってゆくことで、それぞれ交わり地天泰と同様、陰陽和合の吉祥となる。

 「彖曰、恒久也。剛上而柔下。雷風相與、巽而動、剛柔皆応恒。」

 上の雷は「震」で長男を表す。下の風は「巽」で長女を表す。男は陽気で本来上昇するはずのものが雷となって下り、女は陰気で本来下降するはずのものが竜巻となって登ってゆく。ゆえに男女交わり陰陽和合となる。
 この交わりの元となるのは今でいう上昇気流であり、その意味では女性主導の陰陽和合、「巽而動、剛柔皆応恒。」となる。
 政治的に言えば下にある物、つまり大衆主導で君子を動かしての天下泰平となる。それゆえ、

 「恒亨、无咎、利貞、久於其道。」

となる。

 「天地之道、恒久而不已也。利有攸往、終則有始也。日月得天而能久照、四時変化而能久成、聖人久於其道而天下化成。観其所恒而天地万物之情可見矣。」

 天地の道は恒久にして止むことなく、終わりは始まりとなる。日月は沈んでもまた昇り、いつまでも照らし続け、四季の変化も延々と繰り返される。
 聖人は日月の運行や四季の変化をもとに長く天下を治める道を造り、その恒なる所を見て万物の情を見る。

 「象曰、雷風恒。君子以て立不易方。」

 雷や竜巻が荒れ狂い、この世界は変化して止まないけど、それは日月の運行や四季の循環のように繰り返されるもので、終わりは次の始まりとなり、変わることはない。君子はこの恒の道に立って、方を変えることはない。すなわち「不易」。
 流行して止まぬ世界において不易の道に立つ。それが君子だということになる。
 雷や竜巻が荒れ狂うのは、決して悪い徴ではない。
 現代的に言えば、この世は有限な大地に無限の生命が繁栄できないように、必ず生存競争が生じ、争いに満ち溢れている。しかし、その生存競争が生命の多様性と複雑な生態系を形作り、自然界を安定させる。
 人間の世界も争いが絶えず、罵りあい、街の喧騒を形作りながらも、それでも、互いに譲り、上手く折り合いをつけながら、道は多くの人が行きかい、それが街の活気となる。
 人は別に争うために生まれてきたのではない。ただ、たまたま生存競争に勝ち、多くの子孫を残すことに役に立った能力を、生まれながらに具えているにすぎない。それはあくまで能力であって目的ではない。だからその能力は平和を維持するのにも用いられる。
 日々の喧騒は鬱陶しく、憂うべきことかもしれない。ただ、その中で人は共存の道を探り、この世界を少しでも棲みやすいものに変えようとする。
 変化して止まぬ世界もそこに自ずと秩序が生まれ、混沌は万物の母となる。それが道だ。
 君子はその変化して止まぬ世界の中に、日月の運行や四季の変化のように、変化して止まない中に常に繰り返され変わることのないものを見出す。
 それは風雅の誠にしても同様であろう。風雅の誠はまさに変化して止まぬ世界の中に不易を見出す営みに他ならない。
 天がそれを押し付けるのではなく、地の側から風を吹かせ、地の上昇と天の下降が交わる時、「恒亨、无咎、利貞、久於其道。」となる。
 いわば君主が一方的に高い理想を説くのではなく、大衆の喧騒猥雑の中から巻き起こる風の動きを受けて、そこに真の理想を読み取ることが重要になる。
 夫婦もまた夫が一方的に妻を支配するのではなく、妻の情を十分汲み上げた上で家を運営する必要がある。

 「初六。浚恒。貞凶。无攸利。」

 初六は雷風恒の一番下が陰(六)であるということをいう。
 一番下が陰ということは、恒久の道といえども最下層の隅々まで残さず支配しようとするのは「凶」となり、政治はうまく行かないということを言う。

 「象曰、浚恆之凶、始求深也。」

 隅々まで残さず道を広めようとするのが良くないのは、始に深く求めすぎるからである。
 これは風雅の誠でいえば、初期衝動を抑圧してはいけないと解するべきであろう。それが道のすべての元になっている根本的な混沌で、すべてはそこから生まれる。
 逆に一番上の陰(六)については、

 「上六、振恒凶。
 象曰、振恒在上大无功也。」

とある。一番上の恒はぶれてはいけない。ぶれたらすべてが台無しになる。
 惟然の超軽みの風は初期衝動の開放という点では成功したが、それをきちんと不易の誠に繋ぎとめることができなかったため、単なる流行に終ったといってもいいだろう。芭蕉が生きていたなら、それができたかもしれない。惜しむところだ。

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