2018年11月23日金曜日

 今日は谷中のあたりを散歩した。谷中ビールを飲んで、夕焼けだんだんや諏訪神社など、子供の頃の思い出のある場所をめぐった。
 それでは「野は雪に」の巻の続き。

 二十一句目。

   鞠場にうすき月のかたはれ
 東山の色よき花にやれ車    一笑

 鞠場ということで王朝時代のイメージを引き継いだまま花の定座になる。
 京都東山の桜に牛車ということになるが、破(や)れ車ということで変化をつけている。後の芭蕉なら「さび色があらわれている」と言う所だろう。
 ネットで「やれ車」を調べたら、今でも中古車業界では車の劣化を表わすのに「ヤレ」という言葉を使っているようだ。
 二十二句目。

   東山の色よき花にやれ車
 春もしたえる茸狩の跡     一以

 「茸狩」は秋のものだが、跡なので秋に茸狩りをした思い出を慕ってということだろう。没落貴族だろうか。
 二十三句目。

   春もしたえる茸狩の跡
 とゝの子を残る雪間に尋ぬらし 蝉吟

 「とゝの子」は意味不明。父親の「とと」にしても魚の「とと」にしても意味がわからない。
 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には、

 「『とらの子』の誤写か。前句の茸狩を竹林の狩として、とらの子をつけた。」

としているが、これも何かしっくりこない。竹林に茸というのはあまり聞かないし、何でわざわざ虎の子を尋ねてゆくかもわからない。比喩としての「虎の子」ならまだわかるが。
 『校本芭蕉全集 第三巻』には原本の書体がまぎらわしいため、全文の摸刻が掲載されている。それを見ると、たしかに「と」のような文字のしたにチョンとしてあるように見える。「之」にも似ている。
 あるいは前句の「たけ」を「竹」と取り成し、之の子を雪間に尋ねるとしたのかもしれない。ならば孟宗の「雪中の筍」の故事になる。植物は三句続けることができないので「竹」は出せない。
 二十四句目。

   とゝの子を残る雪間に尋ぬらし
 なつかで猫の外面にぞ啼    宗房

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には、「前句の『とらの子』を虎猫とした。」とある。
 「之の子」だとすれば、猫が自分の子供の所へ行き、外で啼いているとなる。
 二十五句目。

   なつかで猫の外面にぞ啼
 埋火もきへて寒けき隠居処に  一以

 猫といえば火燵。だが、ここでは「埋火(うづみび)」。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説には、

 「炉や火鉢などの灰にうずめた炭火。いけ火。《季 冬》「―もきゆやなみだの烹(にゆ)る音/芭蕉」」

とある。その上にやぐらを組んで布団を載せたものが火燵(こたつ)になる。
 火が消えて寒いから猫が寄ってこないというのは、やや理に走った感がある。
 二十六句目。

   埋火もきへて寒けき隠居処に
 湯婆の湯もや更てぬるぬる   一笑

 湯婆(たんぼ)は湯たんぽのこと。ゆばーばではない。
 生活感があり、「軽み」のようでもあるが、何のひねりもないところがやはりこの時代の風か。

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