明け方の月がどこへ行ったのかと探してしまうくらい東によっていた。今日は旧暦九月二十五日。秋ももう残り少ない。
それでは『俳諧問答』の続き。去来の手紙の最後まで。
「来書曰、故に同門のそねみ・あざけりをかへり見ず、筆をつつまずして此を起す。此雑談隠密の事にさたにおよ不及、諸門弟の眼にさらし、向後を慎む便とならば、大幸ならん。
廿九、去来曰、阿兄道に志ざすの深き、此言にいたる。尤感涙す。
是を他日湖南の丈草兄・正秀兄におくりて、猶二子の俳胸を聞ん。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.70)
このあたりは社交儀礼で締めに入っているだけで、それほど問題はないだろう。
「来書曰、願くハ高弟、予と共に志を合して蕉門をかため、大敵を防ぎ給へ。
卅、去来曰、阿兄の言勇つべし。然ども予が性もと柔弱にして、敵に当るの器にあらず。曾ツ十月のはじめより、心虚ト労役を兼病す。
今日薬におこたらず。向来猶弓を引、矛を振ふの力なけん。
幸強将下に弱兵なし。益兵をやしなひ、陣を練て、大敵をやぶり給へ。
阿兄のごときハ実に蕉門の忠臣、一方の大将軍也。
元禄丁丑十二月日 落柿舎嵯峨去来
五老井許先生
几右」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.70~71)
惟然については大賊ではなく単に迷っているだけだと弁護し、そのほかの敵についても軽く受け流した去来は、もちろん許六と一緒に戦うなんて気はさらさらなかったのだろう。
ただあからさまな言い方をせず、病弱にかこつけてここでは辞退することになる。
この書簡には追伸がついている。
「病後精力いまだ全からず。是故に此一書、風国をなのみ清書仕候畢。誤字・脱字・衍文等、御考御披見可被下候。猶語意きこへがたき物ハ、重而御不審を蒙たきもの也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.71)
これで去来の手紙は終る。
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