日本では何か問題を起すとすぐに記者会見があり、必ずそこで謝罪する。時には一列に並んで集団で土下座をすることもあり、外国人にはさぞかし奇妙な光景だろう。
日本人がすぐに謝るのは怒りを静めるためで、必ずしも罪を認めたからではない。
昔ルース・ベネディクトという人が西洋が罪の文化なのに対して日本は恥の文化だと言ったが、謝罪に関しては当たっているかもしれない。日本人の謝罪は罪を認めるのではなく、頭を下げるという恥を示すことで、相手に酌量を求める行為なのである。
フランス人のゴーンさんの謝罪会見は今のところなく、むしろ告発した西川社長の方が謝罪している。hinomaruの唄で物議を醸した野田洋次郎さんも謝罪したし、シリアから帰ってきた安田純平さんも自己責任を認めて謝罪した。BTSも謝罪したが、これも日本の習慣に倣ったか。
まあ、小生だってポリコレ棒で叩かれたならすぐに謝っちゃうからね。それが日本の文化だ。
まあ、それはともかく、「野は雪に」の巻の続き。
十五句目。
きけば四十にはやならせらる
まどはれな実の道や恋の道 正好
これは「咎めてには」で連歌の頃からの付け方。
『論語』の「四十にして惑わず」だが、色恋に迷うなという説教ではなく、逆に恋の道こそ「実(まこと)の道」だと説く。やまと歌は色好みの道、惑うべからず。
十六句目。
まどはれな実の道や恋の道
ならで通へば無性闇世 宗房
「無性(むしょう)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「[名]仏語。
1 《「無自性」の略》実体のないこと。
2 《「無仏性」の略》仏性のないもの。悟りを開く素質のないもの。⇔有性(うしょう)。
[名・形動ナリ]分別のないこと。理性のないこと。また、そのさま。「朝精進をして、昼からは―になって」〈浮・三所世帯〉」
とある。今日では「無性に」という形以外はほとんど用いられない。激しい衝動に突き動かされるという意味で、「無性にラーメンが食べたくなる」とかいうふうに使う。
相手がその気がないのに一方的に衝動に突き動かされて通い続ければ、それこそ今でいうストーカーだ。まさに「闇の世」。まどうなかれ。
十七句目。
ならで通へば無性闇世
切指の一寸さきも惜しからず 一以
「一寸先は闇」という諺があるように、闇に一寸が付く。
日本では指を切るのは忠誠の証で、江戸時代には女性が忠誠を示すために指を切って贈ったり、男の方が不倫を疑って指を切らせることがあったようだ。
あるいは達磨に弟子入りしようとした慧可(えか)が、「自らの腕を切り落として弟子入りの願いが俗情や世知によるものではない事を示し、入門を許されたと伝えられている(雪中断臂)。」(ウィキペディアより引用:ちゃんと書いておかないと百田尚樹になっちゃうからね)から来ているのかもしれない。雪舟の絵にも「慧可断臂図」がある。
まあ、恋の指詰めはやくざの指詰めと一緒で、堅気の人間のする事ではない。遊郭の恋は闇の世だ。
十八句目。
切指の一寸さきも惜しからず
おれにすすきのいとしいぞのふ 蝉吟
これもウィキペディアの引用になるが、「おれ」という一人称は、
「「おれ」は「おら」の転訛で、鎌倉時代以前は二人称として使われたが次第に一人称に移行し、江戸時代には貴賎男女を問わず幅広く使われた。」
とあるように昔は男とは限らなかった。
この場合も女性であろう。やはり女郎だろうか。自らを風にそよぐか細いススキの糸に喩え、「いとしい」と掛詞にするが、全体が小唄調にできている。このあたりに蝉吟の技が感じられる。
十九句目。
おれにすすきのいとしいぞのふ
七夕は夕邊の雨にあはぬかも 宗房
ススキが出て秋に転じたことで、七夕の恋の句にする。
恋の句はこれで五句続いたが、連歌の「応安新式」では恋は五句まで続けて良いことになっている。まさに大和歌は色好みの道、恋は連歌の花ということで、ここでもその伝統は守られていた。
今の七夕は新暦になって梅雨に重なるため雨になることが多いが、旧暦の時代は逆に秋雨の季節が始まって雨になることが多かった。
語尾の「かも」は「けやも」の転じたもので、『万葉集』ではよく使われる。「かな」に近い。名古屋弁では「きゃーも」という形で残っている。
二十句目。
七夕は夕邊の雨にあはぬかも
鞠場にうすき月のかたはれ 正好
「かも」という古風な語尾に引かれたのか、蹴鞠場である「鞠場」を出す。またしてもウィキペディアの引用になるが、「貴族達は自身の屋敷に鞠場と呼ばれる専用の練習場を設け、日々練習に明け暮れたという。」とある。
七夕の文月七日の月は半月なので、「月のかたはれ」となる。
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