日本は恥の文化だというが、そういえば以前こんな文章を書いたことがあった。
「恥というのは本来は危険に対して回避を促す反応である。動悸や赤面や体の震えなどの身体的な変化も、本来は危機を回避するためのものだった。
ただ、順位制社会においては、危険は毒蛇や猛獣などの外敵であったり、内部的には自分より強い個体であったり、対象がはっきり特定しやすい。これに対し、出る杭は打たれる状態に陥った人類の祖先にとって、人間関係の中で、不特定多数の他者が結束して襲ってくるかもしれないというものが重要となる。しかし、これは具体的に誰と誰がというふうに特定しにくく、あくまで想像上の漠然とした危険となる。人間関係の中で、想像上の形のない、それでいて現実に起りうる危険に対し、その危険の回避を促す生理的な反応として、人間独自の恥の意識が生じる。
恥というのは基本的には所属する人間関係からの排除の恐怖であり、必ずしも倫理的に善であるとは限らない。たとえば、電車でお年寄りに席を譲ったり、奉仕活動で道端のゴミを拾うような、明らかな善行であっても、実際にはそこに気恥ずかしさをともなう場合が多い。これに対し、実際には悪いことであっても、みんながやっていることについては、それほど恥の意識はない。
恥ずかしさは、善か悪かにかかわらず、みんなとちがうことをやっているのではないかという不安から生じる。」
これに対し「罪」は掟に反することによって具体的に制裁を受けることをいう。
日本ではよく、海外に行ったら簡単に謝ってはいけないという。また外交関係でも謝罪はかなり慎重になる。それは恥のような漠然とした排除への不安ではなく、賠償や制裁のような具体的な反応を引き起こすと考えているからだ。
日本は多神教文化のせいか、一人一人の考え方や立場、価値観の違いを当然のものと考え、神道も「罪」に関する厳格な教義を持たない。神に対する罪というのは存在せず、ただ様々な価値観を持つ人間に対してそれぞれの罪があるにすぎない。
余談が長くなったが、そろそろ「野は雪に」の巻の続きといこうか。
四十七句目。
おく山とある歌の身にしむ
いろはおばらむうゐのより習初 一以
前句の「おく山とある歌」をいろは歌の「我が世誰ぞ常ならむ有為(うゐ)の奥山今日越えて」とし、子供が「らむうゐの」と順番に練習して行き、「おくやま」と続く。
四十八句目。
いろはおばらむうゐのより習初
わるさもやみし閨の稚ひ 宗房
「閨」は寝る屋で寝室のこと。「稚ひ」は「おさあい」と読む。
「いろは」を習い始めた子供はいたずら盛りで、それがようやく止むとぐっすり眠っている。ほほえましい情景だ。芭蕉にもそんな時代があったか。
四十九句目。
わるさもやみし閨の稚ひ
花垣の蠅のゆひ目もゆるうなり 蝉吟
二裏の花の定座は蝉吟が務める。眠る子に「目もゆるうなり」と、これも一種の「掛けてには」といえようか。
「花垣」は花の咲く垣根のことで、正花ではあっても桜ではない。
蝉吟は十八句目の「おれにすすきのいとしいぞのふ」といい、二十三句目の「よろつかぬほどにささおものましませ」といい、こういう口語的な表現を好んだようだ。
談林の流行も突然始まったものではなく、貞門の内部でもこういう小唄や謡曲の調子を取り入れるのは、既に流行していたのかもしれない。蝉吟もこの頃まだ二十四で若く、流行には敏感だったのだろう。
五十句目。
花垣の蠅のゆひ目もゆるうなり
覆詠も古き神前 正好
覆詠(かへりまうし)はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」には、
「1 使者が帰ってきて返事や報告をすること。また、その内容。復命。
「長奉送使 (ちゃうぶそうし) にてまかり下りて、―の暁」〈続古今・離別・詞書〉
2 神仏へ祈願のお礼参りをすること。報賽 (ほうさい) 。願ほどき。返り詣 (もう) で。
「心一つに、多くの願を立て侍りし。その―、たひらかに」〈源・若菜上〉
とある。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には、「県召の除目の御礼参り」とあり、春の季語としている。
ウィキペディアには、
「春の除目
諸国の国司など地方官である外官を任命した。毎年、正月11日からの三夜、公卿が清涼殿の御前に集まり、任命の審議、評定を行った。任命は位の低い官から始まり日を追って高官に進むのが順序であった。天皇の御料地である県の官人を任す意味から、県召の除目(あがためしのじもく)ともいい、中央官以外の官を任じるから、外官の除目ともいう。」
とある。
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