さて、貞門というと掛詞だ。
正岡子規は明治二十七年の『芭蕉雑談』で「貞門の洒落(地口)檀林の滑稽(諧謔)」という言い方をしているが、駄洒落と掛詞の境界は確かに難しいかもしれない。
強いて言うなら、掛詞は二つの似た音の単語を組み合わせることで意味の融合を生じるが、駄洒落の多くは意味が融合されるどころか逆に反発しあってナンセンスを生じる。
「紫苑」と「師恩」を合わせれば鬼の醜草の異名のある忘れられない紫苑の花に師の恩が合わさり、容易に融合するが、これが「紫苑」と「四音」なら「三音なのにシオンとはこれいかに」と駄洒落になる。ちなみに紫苑とシオニズムのシオンなら、はるかな失われた故郷の忘れられないということで掛詞は可能だ。
掛詞はもちろん貞門の専売特許ではない。談林の祖にも、
よひの年雨降けるに
浪速津にさくやの雨やはなの春 宗因
今こんといひしば雁の料理かな 同
秀たる詞の花はこれや蘭 同
の句がある。宗因も本来は連歌師だから、掛詞は得意だったはずだ。
芭蕉の場合、貞門時代はもちろん様々な掛詞を駆使した貞門らしい句を詠んでいたが、談林時代から天和にかけてはほとんどみられない。
ただ蕉風確立期になると掛詞が復活する。
貞享二年の句に、
しのぶさへ枯て餅かふやどり哉 芭蕉
盃にみつの名をのむこよひ哉 同
貞享三年の句に、
幾霜に心ばせをの松かざり 芭蕉
の句があり、貞享四年には、
歩行ならば杖つき坂を落馬哉 芭蕉
貞享五年(元禄元年)には、
はだかにはまだ衣更着のあらし哉 芭蕉
あさよさを誰まつしまぞ片ごころ 同
そして元禄二年、『奥の細道』の旅でも、
あらたうと青葉若葉の日の光 芭蕉
あつみ山や吹浦かけて夕すずみ 同
象潟や雨に西施がねぶの花 同
蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ 同
またやや微妙だが、
雲の峰いくつ崩れて月の山 同
も「尽きぬ」と「月の」を掛けていると思われる。
この中にはいわゆる旅の句で、地名を一般的な意味とを掛けているものも多い。これは「歌枕」の発想といえよう。
面白いのは、近代の写生説では古池の句で写生を確立した芭蕉が、それまでの貞門や談林の技巧をやめたかのように言われてきたが、実際にはその古池の句の前後の蕉風確立期に掛詞が見られるということだ。
むしろ蕉風確立期だからこそ古典回帰が生じ、掛詞の復活になったのではないかと思う。猿蓑以降はまた鳴りを潜めることになる。
近代俳句でも稀に掛詞の句はある。
言の葉や思惟の木の実が山に満つ 窓秋
思惟を椎に掛けている。
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